水曜日

2015年3月11日。37回目の誕生日にして4回目の結婚記念日である。37歳とはしかし、何だか急に40に近くなった気分である。30歳の誕生日にな何とも思わなかったんだけど、40にはさすがに重みを感じてしまうようだ。ブログも知らない間に開始から10年の節目を通り越して11年になろうとしている。あれまあ。

10年なんてあっという間に過ぎた感もあるけれど、ちょっと振り返ってみると本当にもの凄く沢山のことがあったなあと思う。自分の身の上のことだけでも、アメリカに行って、帰国して、嫁と出会って、博士を取って、またアメリカ行って、嫁と付き合い始めて(スカイプで)、プロポーズして(スカイプで)、なぜかNatureに論文出ちゃって、ポストが決まって、帰国したらアズキに出会って、入籍したら5分後に地震が起こって、嫁がアメリカ行って、一年後に帰ってきて、半年だけ一緒に住んで、結局つくばと京都の別居婚がいつまで続くか分からないのが今現在。

それ以外にも出会った人々との思い出や事件・事故など含めたらそりゃもう本当に沢山の出来事があった。それらを思い起こしてみれば、自分は何と豊かな10年を送ってきたのだろうと思う。

このまま死んでも思い残すことはあるけど。

ブログの10年を振り返ってみれば、ハイライトはやっぱり独り身状態の僕とid:ain_edが出会ったときの、あのやりとりだろう。あれは本当に楽しかった。書物を読み、考え、それをブログに書きつけ、コメント欄やトラバでフィードバックし合う。それもアメリカとイタリアの間で!コミュニケーションとはこういうものかと思ったものだった。お互い嫁を見つけて帰国してからめっきりブログを書かなくなってしまったけれど、まあそういうもんなんだろう。ブログでのコミュニケーションを優先して女にフラれたとかじゃ話にもならんし(笑)。今思えば、僕と彼があんなに馬が合った理由はアカデミアで身を立てることを目指して海外に渡ったという境遇だけじゃなかったんだろう。それは「優先順位が常にはっきりしている」ってことだったのかも知れない。その優先順位に従って生きてきた結果、僕にも彼にもそれぞれに、得られたものと得られなかったものがある。でも二人合わせてしまえば、手に入らなかったものなどない、なんて言えちゃったりする気がしないでもない。

とにかく、今度久々に二人で会おうぜain_ed。

月曜日

論文も書類も切羽詰まった状態だけど、とりあえずは同僚や共同研究社の仕事待ちの状態なのでぽっかり時間ができてしまった。

新年はアメリカ出張に始まり、その翌週から講演依頼4連発。講演時間40分〜1時間、しかも4つともがそれぞれ微妙に趣旨も客層も違っていたので、一回一回がぶっつけ本番だった。忙し過ぎてハゲるかと思った。

そしてそんな多忙な間に継続申請を出していた予算は打ち切られ、ライバルチームに論文を先に出されてしまうという結構散々な目に遭ったりしている。ハゲたかと思った。

今は気を取り直して一矢報いるための論文と、新規課題としての新たな申請書を書く。もうひとつ抱えたまま後回しにしていた論文があって、それは執筆準備のために論文やレビュー記事を読み漁り始めたところ。一度に抱えられる仕事は3つくらいが限界だしね。どこかの柿野郎みたいなマネはできない。

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で、論文を出されてからじゃ負け惜しみにしかならないんだけど。

ポスドクの頃から、何のために論文を書くのかを凄く考えるようになった。そりゃ若いうちは論文を書いて出さない限りは職も得られないし研究資金も取れないし、つまり研究者として生きていくには必須事項なわけだけど、でももう少し広い視点でもって考えるなら、そんなことどうだっていいんだよね。人類の進歩とか科学の発展とかに、僕がちょっといい雑誌に論文を出して職を得られようが、ハズレばっかでこの世界から消えていこうが、どっちだって構わない。
 でも研究者は結局いろんなエゴから自由にはなれないし、生存競争も激化してる。そうすると、何か無理矢理出したみたいな論文も量産されちゃう。でもそんな論文じゃ結局大した意味もなくて、個人が生き残るために時間と金を食い潰しただけみたいなことになってしまう。
 だから、少なくとも僕はそういう流れには絶対流されないようにしたいと、帰国してくる前に思ったのだった。僕がやる仕事で、誰かが「お陰で私達の仕事も捗ります」と思ってくれる。僕らが書いた論文を読んで、誰かが「これは面白い!」と思ってくれる。そういう研究をして、そういう論文を書くんじゃなけりゃ、別の生き方をした方がマシじゃないかと。
 逆に研究者といして生きるんなら、自分がやってる研究にどんな意義や価値があるのか、考えてなきゃいけないんだろう。論文を投稿するときも、参考にすべきはインパクトファクターなんかじゃなくて、どんな人にとってその論文を読む価値があるのか、をまず第一に考えるべきなんだな。

月曜日

さよなら2014年、こんにちは2015年。

というわけで2014年も矢のように飛び去ってしまった。2015年も1月は既にギッチリと出張予定&締切が詰まっているのだが、年末年始くらいは嫁と過ごすことにした。有給も使って12連休である。2014年は僕以上に嫁が多忙過ぎて、月に一度も会えなかったんだよね、実は。今嫁が来てるけど、嫁にとっては半年ぶりのつくば。

今年の初詣は弟一家と一緒に長岡天神に行って「今年も沢山の人に助けて頂けますように」と願っておいた。10円で。

一年前は何を願っていたかと思ってブログを見返してみたら「今年も大晦日には『ええ一年やった』と思えるような年になりますように」だった。いずれにしても、完全に目標を立てることを放棄している僕である。1月中ならまだしも、2月には絶対忘れてるもんね、年始の目標なんて。

ふと思って、嫁に「あんた今年何を願ったん?」と訊いてみると、「病気になりませんように」だと言う。ふーん…まあ普通だねえ、とか思ったんだけど、はたと気付いて、吹き出してしまった。二人とも「一緒に暮らせますように」とは願わなかったんだな、と。

まあ、いんだろう。それで。離れて暮らし、子供も作らず、それで何が夫婦なんだと言われることはあるけれど、「まあ平成の結婚なんで」と聞き流す、今年もそんな一年になるのでしょう。

仕事はハードに。プライベートはユルユルに。

木曜日

最近、嬉しいことがあったので書き留めておこう。悪いけど自慢話になる。

先日、共同研究者のもとにプロジェクトの評価者からメールで質問がきたらしい。
「内藤さん、すみませんが回答の文案を作ってもらえませんか」
と言われたので見てみると、簡単に答えられそうな質問である。サラサラと書いて返信したら、共同研究者に驚かれたのである。

「あまりに的確な回答にちょっと感動しました(笑)。プレゼンや会議での質疑応答を聞いてていつも思いますが、内藤さん質問への受け答えがすごく上手ですよね。質問から相手の理解度を瞬時に察知した上で、理解してもらえるような言葉とか言い回しを選んで答えている、みたいな。」

何か嬉しかったのである。「普段考えてる範囲内でなら自信ありますよ(笑)。さきがけの領域会議とかじゃ厳しい質問も飛んでくるんで、時々シドロモドロになってますけど(苦笑)」と返したら、

「そうそう、その普段考えている範囲の広さも全然違うなと感じてます。しどろもどろな内藤さんも見てみたいですけどね(笑)」

おお、もしかして2つも褒められてしまったのかこれは。益々嬉しいじゃないか。

「さすがですね」とか「やるね」とか、そういう褒められ方でも悪い気はしないんだけど、やっぱりこんな風に具体的に褒められたときのテンションの上がり方って半端ないよね。それも、普段そうありたいと思い、そう出来るようになろうと努力している点であれば尚更だ。(自分も誰かを褒めるときにはそうやって褒めないとね)

人との対話においてこうありたいと思っているのは、ブッダの対機説法だ。ブッダが出会う人々の性格や能力、素質に応じて、その人の問題が解決するように的確に教えを説いたこと指して言うらしい。仏教に関する本でこれを読んだときに「これこそコミュニケーションの根本じゃね?」と思ったんだよね。

ただ、ブッダは教えてあげるという立場に立てたのに対して、僕らは飽くまでも「理解してもらう」という低い立場にいるところが違う。人はそんなに僕らの話を有難がって聞いてはくれない。でも分かってくれる人が増えれば、それだけ僕らの味方も増える。

だから、研究者のみんなで対機説法を会得しようず(鎌倉武士風味)

水曜日

先週のさきがけの年末報告が終わって、今週論文のリヴァイズを投稿して、ようやく一息。講演依頼とか国際出張の手続きとか細々した仕事はあるけれど、本当に一段落である。ふう。

で、そろそろ一発目の花火をドーンと打ち上げたいところなのだけど、最後のピースがモヤッとしている。こっちも早く片付けてしまわないと色々マズいのだけども。

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さて、先月のブログで今度書くと言ってたことについて。
先日参加した(といっても10月だったけど)学会の場で、「ラボ運営はどうあるべきか」ということについて小一時間議論を交わしたのである。

とりあえずラボの良し悪しを判断するには二つの評価軸があるだろう。業績が出てるかどうかと、構成員がハッピーかどうかだ。僕が行ってたジョージアのラボは、業績は凄かったけど決して良いところだとは思えなかった。ボスの激しいプレッシャーに打ち負けてしまう人間が続出していたからだ。なので、僕自身は基本的に放任主義的なラボ運営をしようと思っている。

しかし、だからと言って全くの自由と言うのも良くないのではないか。学生たちは好きなことを好きなようにさせてもらって幸せだと思うかも知れないけど、大した業績もないままラボを卒業すると後々不幸なことになる。

そこで僕は周囲の学生たちに聞いてみた。君たちはどっちのラボがいい?締め付けの厳しいラボと、放任主義なラボとだったら?

その場にいた全員が「自由な方がいいです」と答えた。その状況に、僕の中のセンサーが働く。全員がいいということは、多分正しくない。僕は一人を指名して尋ねる。どうして自由な方がいいの?

彼は答える。「僕は本当に研究が好きなんで、上から何も言われなくても一日14〜15時間はラボにいますから。」

ふむ。キミ学年は?

「M1です。」

もう論文は書いたの?情報系やしワリと早くに論文書けるやろ?

「国際学会で発表しました。」

論文は?

「…データは、溜まってます。」

やっぱプレッシャー要るやん!

そうだ。研究は楽しい。データが出てきて違いがハッキリしたりしてると本当に興奮してしまう。でも、それを纏めて筋道を付けて文章化するというのは面倒臭い。だからつい後回しにしてしまう…誰からも何も言われなければ。

そうか。では質問を変えよう。君たちがベストパフォーマンスを出せる環境はどんなところや?

「時々は何か言ってもらえる環境がいいと思いました」

だよな。僕も今そう思ったわ。基本的に好きにさせておきたいところやけども、多分構成員一人ひとりに適切なやり方で時々プレッシャーを掛けてみるのも必要なんやな。ベストパフォーマンスを発揮するには研究を楽しんでやってるというのが大前提であるのは間違いないとしても、でもそれだけではベストパフォーマンスには到達できない、と。

理想のラボ運営ってのはつまり、構成員全員の能力を最大限に発揮させられるような運営ってことなんだろう。なるほど。PIとして目指すべき方向はそこにあるということか。

先週は怒涛の締切ラッシュを乗り越え、息つく間もなくパーマネントの最終面接。

飽くまでも一般公募ゆえに絶対はなかったわけで、だから多少は緊張した。下馬評も百人中百人が例外なく「内藤さんは心配ないね」と言ってくれていたわけだけど、人が落とし穴に嵌るのはそういう時だったりするので、書類も面接も一切手抜きはせず、大マジで挑みました。

結果としては満場一致で採用を決めてもらえたらしく、お陰様で若手研究者の生存競争に勝ち残ることができたようだ。博士取得後、ポスドク→任期付研究員と順調に階段を上がってこれたわけだけど、それでも学部を卒業してから既に14年であることを考えれば長い道のりだったなあと思う。

しかしこれで遂に、正式にPrincipal Investigatorとして振る舞うことが許されるわけである。連携大学院の教員として学生を受け容れることもできるようになるわけで、やはりポジションが上になればそれだけ出来ることの幅は広がる。もちろん、前線からはそれだけ遠ざかって行くわけだけど、僕は最初からそうなりたかったわけだしね。むしろ日本の研究者には、ポジションの変化に適応し切れない研究者が多過ぎると思うくらいだ。実験や解析を全部自分でやろうとしてたら、そりゃ研究できる時間がどんどん減っていくと感じるんだろうな。

僕の仕事はこれから益々「夢を語り、予算を獲り、時々部下にプレッシャーを掛け、論文と報告書を書く」というものいなっていくのだろう。(ちなみに「プレッシャー」ということについて、先日非常に面白い議論をする機会があったのでそれについてはまた日を改めて書きたい。)

しかし嫁が京大の講師に出世し、僕は僕でつくばでパーマネントをゲットし、という感じで益々お互い離れた場所にネを張ることになってしまった。まあ僕と嫁は「お互いまずは自分の好きなことを」と決めているので良いとしても、どちらの親もこんな僕らの状況に文句一つ言わずにいてくれるのは有難いことだと思う。僕のお袋は嫁の講師着任を喜び、義母もまた僕の知らせを聞いてすぐに祝いの電話をくれた。4人が4人共離れて暮らしている僕らだけど、こんな家族も一つのあり方としていいんじゃないか、と思ったのである。

月曜日

早や11月である。10月もあっという間に過ぎ去ってしまった。振り返ってみると先月も会議に探索に打合せに学会にと大わらわだった。そんな中で科研費の申請書を代表で2つ、分担で2つ。それに加えて報告書や面接資料の作成やらの締切が覆いかぶさってきて、さすがに目の前が暗くなるのを感じた。それにしても、某行政機関のムチャブリは毎度のことながら許しがたい。

がしかしとにもかくにも、先週バイオインフォマ系の研究会で初めて研究発表をしてみたのだけど、やっぱり馴染みのない場所に出て行くというのは大事なことだね。情報系で有名な人たちと顔見知りになれたこともあるけれど、インフォマを専門にしてる若い人たちをチームに引き込める可能性が出てきたってことが最大の収穫。もちろん、それを実現するには予算を獲ってくる必要があるけれど。

さて。今月は前半に北海道出張、報告書提出、そしてパーマネントへの面接審査と立て込んでるけれど、それが終われば一端スケジュール帳から解放される。つまり、論文を書く時間が取れるってことだ。