月曜日

結局去年はイベントの告知を除くと3月以来日記を書いていなかったようだ。去年はほぼ一年中論文を書きまくっていたので、ブログまで書こうという気に全然ならなかったのだ。今年は去年よりはこのブログを書くと思う。

ちなみに、あと2ヶ月で38歳にもなってしまうので、さすがに一人称が「僕」というのは居心地も悪くなってきた。というわけで、今日から「私」に変更します。おっさんになっても「僕」を使い続けられるのは村上春樹くらいのもんだろう。

それにしても2015年は論文を書いているか、でなければ日本のどこかで講演してるか、という一年だった。昼間は雑用が多いので論文は夜中に自宅で書いていることが多かったのだが、春先は毎朝4時過ぎまでPCに向かっていたのが良くなかった。5月に左目が一部見えなくなってしまったのだ。慌てて眼科に駆け込むと、診断は網膜動脈閉塞。つまり網膜の動脈が詰まってしまったのだ。いわゆる脳梗塞心筋梗塞の網膜版だ。血管が詰まれば当然酸素が送られず、網膜の一部が機能を失い、その結果目は見えなくなる。幸い薬が効いて症状は3日ほどで改善したが、歳を取るというのはこういうことかと実感した。

そしてさらに追討ちもあった。眼科での診察で、網膜裂孔という別の疾患まで見つかってしまったのだ。網膜に丸く穴が空いてしまうことをいうのだが、これが網膜の中心付近で起こっていれば当然穴の空いたところが見えなくなってしまう。しかし私の場合は幸いにも端の方だったので視野にはほとんど影響がなく、だから自覚もなかった。とはいえ、放っておくと網膜剥離に発展し兼ねないということだったので、レーザー手術も受ける羽目になった。

あと2015年にはもう一つ試練があって、それは研究所の会計処理にルール違反があったせいで職場の研究予算が止まってしまったことだ。私にとっては1千万円以上の研究費が蒸発してしまったわけで、さすがにこの措置を聞かされたときには目の前が暗くなる思いだった。まあそのことについては後日詳しく書こう。

それで、実験するお金がないなら論文を書くしかないよな、というわけで過去の塩漬けになっていたデータも掘り返したりしてザクザクと書いたわけである。去年だけで10本投稿して6本通し、プレスリリースも出した。アズキの全ゲノム解読のニュースは、ネット上ではそこそこ流れたようである。一応朝日新聞と読売新聞の取材も受けているのだが、記事はまだ出ていない。最悪出ないこともあるってさ。論文投稿は今年も絶賛継続中で、早速1本投稿。これから書かなきゃいけないものもまだあと3、4本分くらいあるので、順次書き上げていこう。

予算が止まったということは当然出張費もなくなるので、去年は学会出張や外部講演も最低限で済まそうと思っていた。ところが、学会や大学やシンポジウムから講演依頼が大量に舞い込んできたのである。依頼出張なら旅費は先方負担だし、ということで気軽に引き受けていたらあっちこっちに20回以上出かけていた。逆に予算が止まっていなかったら、さすがにこんなに遠征する時間は持てなかっただろう。これもまた怪我の功名であろうか。

とりあえず、2015年を総括すると上記のような次第である。

嫁とは相変わらず離れ離れだが、仲良く楽しくやってることも相変わらずである。