水曜日

今日はちとシリアスに.

昨晩は結局雨が止むまでチャットという,ワタクシにとってはキャナリ“はいてく”なことをして時間を過ごしたわけであるが,その中で「大人になる」という言葉が話題になったので触れておきたい.

「大人になりなさい」「大人になれよ」という言葉を聞いて,何をイメージするだろうか.「妥協することをおぼえる」「他人の立場や気持ちを考える」「ワガママ言わない」etc...基本的にはそういう意味で使われているような気がする.それは要するに「我慢しなさい」「諦めなさい」ということではないだろうかか.ツマラナイヨソンナノ.

ワタクシは大人になる,というのはやりたくても力不足で出来なかったことが出来るようになる,ということでだと思っている.子供のウチは親にオモチャを取り上げられたら泣くしかないが,そのうちオモチャくらい自分で買えるようになる.大人になる=辛抱が利くというのは違う.むしろ大人になれば辛抱なんかしなくてよくなるんでないかい.

もちろん我慢や諦めが必要ないというわけではない.大人になるにつれて楽しみを得る手段のレベルも上がる.小学生時代は無限に広がっているように見えたグラウンドが,大人になってから見ると「あり?」と肩透かしを食らったように小さく見える.少年時代はラジコンが宝物だったとしても,本物の車やバイクに乗り出したらラジコンなんかやってらんなーい.そして,実際に車を運転できるようになる(免許を取って車を買う)のとラジコンを買って組み立てるとでは,本物の富士山と我が地元の近江富士を比べるようなモノだってスゴク分かりにくい.つまりレベルの高いコトをするには必要なお金を貯めて,必要なものを揃えて,それが出来る所へ行って,場合によっては専門的な知識や技術を身に付けて…という準備が必要になってくる.その準備の間は必然的に我慢しなければならない.車学の教官がどんなにヤなヤツでも我慢して言うことを聞く.車を買うお金が貯まるまでは,ムカつく上司がいても我慢して働くetc….で,さらにレベルが上がってお金や時間や労力が必要になってくると,やりたいことをアレもコレもやるわけにはいかなくなる.そこで,どうしてもやりたいことを1つに絞って,他のことは「諦める」ことになるわけだ.要するに自分がやりたくないことのために我慢したり,いちばんやりたいことを諦めてしまったりというのが大人とちゃうで,というのがワタクシのモットモォットタケモットー(ピアノ売ってチョウダイ〜♪)である.