宗教と肉

アラブ系イスラエル人カリールは,ムスリムである.しかもかなり信心深い性質で,毎週金曜の午後はモスクで祈りを捧げているそうである.そんな彼はアパートのルームメイトたちとは食器も鍋もフライパンも共有しない.他人が勝手に彼のモノを使うとかなり真剣に「ダメあらぶ」と怒る程である.ナゼか.ムスリムでないワタクシらが豚を食うからである.つまり,彼の鍋や皿が豚肉で汚されてしまう可能性があるからである.そこまでコダワルか,というのは日本人の感覚である.そーいや昔インドネシアで,味の素が豚の腸から取り出した酵素を製品の精製に使ってたっつって住民に猛反発喰らってたっけな,ということを思い出した.イスラム教では豚は下劣な動物である.砂漠で食べるものの限られた中では大飯喰らいの豚くんは悪魔の使いにしか見えなかったんであろう.
そんなカリールのフライパンを,こないだスリランカ人マヌーが何のためらいもなく使ってたのには笑った.そのマヌー,彼はヒンドゥー教徒である.「ほな自分は牛肉食わへんのんかん?」と聞いてみたところ,「スリランカでは食べられなかった」…え,ナニ?食べられ“ナカッタ”?「スリランカじゃ親が厳しくてさ,牛肉食べさせてくれなかったんだ.こっちでは食ってるよ.てゆーか好きだね.親にバレたら怒られちゃうよ」ってズコ.ナンジャソリャ.宗教…難しいものである.宗教も色々あるけど信仰の深さも人それぞれ.ちゃんと付き合わないと分からない.分かってないと付き合えない.精進あるのみ.終わり