こみゅにけーしょぉ〜ん!

id:moli-xiongさんにハナシ振られちゃったので,書いてみる.オモチロ文章になるかどうかは別だけど….
下に紹介している本のショッパナで,柄谷行人は言う.
「他者とのコミュニケーションは,『話す→聞く』関係ではなく『教える→学ぶ』関係である」と.
その本は日本に置いてきてしまっているので,うろ覚えでテキトーに書いてしまうけど….
…極端なケースとして,「言葉の全く通じない外国人」や「まだ言葉を解しない子供」を「他者」として考えてみて欲しい.そのような「他者」に自分の意思を直接伝達するコトは不可能で,その前段階として自分の扱う言葉一つ一つの意味を,彼らに「教え」,「学んでもらわ」なければならない.忘れてならないのは,自分の意思を理解できるかどうかは「他者」にとってはどうでもいい,ということである.砂漠で遭難してしまって喉が渇いてたまらないとき,偶然通りがかった遊牧民と出会えたとする.自分は水が欲しいのだということを彼らに理解しえもらえなかったら死んでしまうが,彼らは自分を理解することを諦めて立ち去ったところで,何の利害もないわけだ(水が欲しいというくらいジェスチャーで何とかなるじゃん,というツッコミは拒否.あくまで例えなんだから).つまり「教える→学ぶ」とは,学校の教室における教師と生徒のように,教える側が上位に位置するのではない.自分の意思を「他者」に教えて「あげる」のではなく,学んで「もらう」のである…
とまあ最初の2ぺージくらいでガツンとキタわけヨ.
ワタクシは父親の病死とか友達の事故死とか,14歳の教え子が電車に飛び込み自殺とか,平均寿命80年を超える国の中でやたらと身近に死を体験して,人の生き死にのモンダイを考えるコトが多かった.そんなワタクシにとって,周りの連中は何も考えてなさそーにヘラヘラ笑っておるように見え,「こんな奴らにワタクシのコトなんか分かるワケがナイ」と,かなーりタカビーになっておった.だがこの「分かるワケがナイ」ってのは,ジッサイには「分かってもらえるなら話しタイ」というコトの裏返しに過ぎナイんである.
ソレまで何度も「お前の言ってるコトはワカラン」と言われて,自分を理解してもらうのは諦めてたんだが,コレを読んだ時に「ワタクシの言うコトが通じなかったのはアイツらがバカなんじゃなくて,ワタクシの表現がヘタクソだったダケでないんかい?」と思ったシダイなんである.
「全く言葉の通じない外国人」とは全くレベルが違うが,同じ日本語を話す者同士だって,実は似たようなモンだろう.同じ単語ヒトツとっても,個人個人で微妙にニュアンスや,カバーする意味の幅が違ったりする.要するに言葉はコミュニケーションにおいて最も重要なツールでありながら,ヒジョーに不完全で信用デキナイツールでもあるワケだ.だからこそ,自分の言いたいコトを相手に分かってもらうためには,できるだけシンプルな言葉を的確に組み合わせなければならない,うわー,目が覚めた!…と思ったのダ.
でまー言葉に拘るよーになったオカゲで,ワタクシ,他人とコミュニケーションを取るのが全然苦痛でなくなったり.今じゃ初対面のヒトでも全然緊張せずに打ち解けられる自信ありますもん.って,そんなハナシじゃなくて(汗)

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それにしても,自分が扱うコトバに注意深くなってみると,他人が使うコトバにも注意を払うようになっちゃうんだよねえ,ナゼか.でもソレが,今度はヒトの話を「聞く」ときにまた物凄く役に立つように思う.
ヒトのハナシを聞くとき,特に相談を受けたりしてる時に重要なのは,実は「自分が相手の話を理解している,あるいは理解しようとしている,ということを理解してもらう」コトだと思う.相手のハナシを聞きながらタダ黙ってウン,ウン,と頷いているダケではイケナイ.そのうち「ああ,コノシトは分かってないわ」と思われて相手は口を閉じてしまう.また「そんなコトで悩むなんてバカげてる」とか「だったら〜〜すればいいじゃないか」というのもゼッタイにNG.ヒトが「悩む」時はその人なりの背景や理由がある.簡単に解決できるコトならそもそも悩んだりしない.心の奥深くにまで張り付いた根っこを引っ張り出さないコトには,相談なんてハジマラナイのだ.
ワタクシはコトバの力は信じるが,ヒトツヒトツのコトバの信用性は疑っている.ワタクシのコトバが相手に上手く通じないコトがるのと同様,自分が相手の言葉の意味を取り違えるカモ知れナイ.ワタクシは誰かの話を聞くとき,必ず相手の言葉を言いなおすか,あるいはもと具体的な説明を求めたりする.「ソレはつまりこーゆーコト?そんな解釈で正しい?」とか「○○が××してるってのはどーゆーコトかな」
要するに相手の言うことを上手くリピートできなければイケナイ.ただしソレが上手くいけば,モンダイの根っこを引っ張りだすコトができるし,そうなったら大抵自分で解決策を見つけてしまう.助言なんてモンは向こうから「どうしたらいいと思う?」と聞かれてからで良いのだヨ.相談を受ける=相手を映す鏡になる.コレダヨ,コレ.
というわけで,今日はコミュニケーションについてのオハナシでした.マル.

あ,ちなみに当たり前ですが,ワタクシはどんな相談を受けても必ず相手の言うことを理解できるなんて思っちゃいませんぜ.タダ相談を受けて上手くいったときってのは必ず上記のようなパターンになる,というダケのハナシでありまして,どーしよーもなく持て余してしまうダケってコトだってあるっつーコトでよろぺけ.おやすみなさい〜

↓参考図書
探究(1) (講談社学術文庫)