その2 

よーやく続編.え?待ってないすか.そんなぁー.
「幸福」「幸せ」といったコトバはかなり曖昧なもので,例えばオイシイモノを食べたりキレイナモノを見たりしたときに「こーゆー時に幸せを感じるよネ」と言うときの幸せと,「イロイロあったが,そえでも私の人生は幸せだった」というときの幸せとは全くレベルが違ってしまう.
また,「幸福は,何気ない日常のなかでふと感じるもの」とはよく言われるコトだが,少なくともワタクシにとっては,ソレダケでは不足である.もし幸福と呼ぶべきものがそれ以外にないとしたら,「幸福になろう」という努力が意味をなさなくなるからだ.(もちろん日常にふと見出されるような幸福も重要だと考えているコトは断っておくが).だが実際には,努力によって獲得できる幸福は存在するし,「幸福な人生」なるものを送るコトだって不可能ではないはずだ.
…って,あー.今日はこれ以上書く時間がなくなってしまったので,ラッセルの自伝的な文章を紹介して,オシマイ.続きはまた今度,時間ができたら.

私は、幸福のもとに生まれなかった(4歳までにラッセルの両親は死亡)。子供のころ、私のお気に入りの賛美歌は、「この世に倦み、罪を背負いて」であった。5歳のとき私は、もし70歳まで生きるとすればまだ生涯の14分の1耐え忍んだにすぎない、ということを繰り返し考え、この先続く長い退屈は、ほとんど耐えがたいものに思われた。思春期には私は人生を憎み、たえず自殺寸前の状態にいたが、もっと数学について知りたいという欲望から、なんとか自殺を思いとどまった。
 今では、反対に、私は人生を楽しんでいる。年々年をとるにつれて、ますます人生を楽しんでいる、と言ってもよいくらいである。これは一部には、自分がいちばん望んでいるものが何であるかを発見し、それらの多くを少しずつ手に入れてきたことによる。また一部は、望んでいるもののいくつかを――たとえば何かに関する疑いえない知識というようなこと――本質的に獲得不可能なものとして上手に退けてしまったことによる。しかし大部分は、自分自身にだんだんとらわれなくなったためである。
 ピューリタン主義の教育を受けた他の人たちと同様、私も自分の罪、愚かさ、短所について思いをめぐらす習慣があった。私自身にとって私は、あわれな人間の見本のように思われた。
 次第に私は、自分自身と自分の欠点に無関心になることを学んだ。そして徐々に注意を外界の事物に集中するようになった。たとえば世界の状況、知識のさまざまな分野、私が愛情を感じた人たちなどである。外界に対する種々の関心は、確かに苦しみの種になる可能性はある。世界は戦争に突入するかもしれないし、ある方面の知識はなかなか手に入らないかもしれないし、友人は死ぬかもしれない。しかし、こういった種類の苦しみは、自己嫌悪からわき出てくる苦しみと違って、人生の本質部分を破壊することはない。そして、対外的興味・関心は、いかなるものでも全て何らかの活動を刺激・促進し、またそれらの興味が消えないかぎり、倦怠(感)を完全に予防してくれる。反対に、自分自身に対する興味は、進歩的な活動に導くことは決してない。そういった興味は、日記をつけるとか、精神分析を受けるとか、もしかすると修道士になることに導くかもしれない。しかし、修道士になったとしても、修道院の日常業務(ルーティンワーク)のために自分の魂のことを忘れてしまうようになるまでは、幸福にはなれないだろう。彼が宗教のおかげで得られたとする幸福は、やむをえず掃除夫になっていたとしても得られたことだろう。極端に自己没入しており、他のいかなる方法でも治療のしようがないような不幸な人びとにとって、外(面)的な訓練こそ幸福に至る唯一の道である。  

おやすみー♪