その5〜魅力?〜

成功した人間よりも,魅力的な人間になりなさい
                      ―――E.アインシュタイン

20世紀を代表する大科学者が言うと説得力あるなあ.まあそれはさておき,id:KEN_NAITO:20041117の「情は人の為也ず」を,もう少し一般的に,とゆーよりはワタクシの個人的な雑感とでも言った方がイイかもシレナイが….

自分のコトを,他人とは違う「特別な人間だ」と思っている人はマズいないと思う.ところが,何か倫理的なモンダイになると,「(極端な言い方をすれば)他の誰がそのような行動をとろうとも,自分だけはヤラナイ」とゆー考えに取り憑かれてしまうヒトは少なくないんじゃないかと思う.或いは例えば,世の中にヤクニタタナイ研究をしてる研究者はゴマンといるが,「社会の役に立つ研究をしなければ意味がナイ」みたいなコトを言う理系の学生は少なくナイ.ワタクシはそんなヒトに向かってイツモ「じゃあ世の中の大多数の研究者には存在価値がナイのかね?」と問いかけるコトにしているのだが,「別にそーゆーワケじゃないんだけど…」とまー,大抵はそんな返事である.コレもまた,「他人はどーあれ自分(ダケ)は社会に役立つ(=ヒトに認められる)コトをしたい,やらなきゃ意味がナイ」的な価値観である.

ワタクシもまあ,↑のよーな考えに頭のテッペンから足のツマサキまで染まりきっていた時期があった.ワタクシもまた,「完璧な人間」を目指していた人間だった.強い人間になりたかった.そーやってヒトの尊敬を集めたかったんである.自分に厳しく,他人には寛大であれ―――
そう,ソレはまさに

自分だけは神が仏でもないと許せないイキオイ

全く,とんだ思い上がりである.
まあそんなだったんだが,ある日何の脈絡もなく自分で自分にツッコミが入った.「自分が弱いと思う行動は自分はやらず,同じ行動を他人が取った場合は認めるって…どんだけエラそーやねん.自分がそんな特別な人間なワケがあらへんがな」と.
とゆーワケで,強い人間になるのはヤメたワタクシ(あっさり).
実際のところ,自分が「弱さ」だと決め付けていた行為は


世の中の大半の人間がやっている


とゆーわけで,ソレは「弱さ」ではなく,フツーなのだ.フツーなモノいくら許したところで,寛大とは言わナイ.アホくさ.とゆーわけで方針転換である.
・他人が不完全なトコロは自分も不完全でよい.
今までは自分を他人より上に置こうとしていた.ソレをヤメて,自分と他人を同列に並べて考えるようししたんである.コレが出来るようになったのは人生で1,2を争う収穫…とゆーかソレまでコンナコトすら出来なかった自分が少々恨めしかったり.何にしても,コレはホントに大切な考え方なのダ.
例えば,笑い.
他人のシッパイは笑える.しかし自己愛の強いヒトは自分の失敗を笑われるコトは恐れる.自分が不完全だと思われるのが怖いからである.最悪,シッパイを恐れて何もデキなくなる.そしてそれは哀しい事態である.
自分が他人の失敗を笑うなら,他人にも自分の失敗を笑ってもらっていいんである.
自分のシッパイをスグ笑いに昇華してしまえるシトは,シッパイしてもストレスフリー.ハナシのタネが増えた,くらいのモンである.

…えっと,もう翌日の正午なんで,続きは24日付の日記にて.