その6〜魅力?の続き〜

さて,強い人間になろーとしていた過去のワタクシ.とーぜん,感情は「悪」であった.感情に流されない,感情を表に出さない.それが強さの証だった.
が,周りのヒトを見れば当たり前のコトなんだが…


感情を持たない人間などいない


んである.とゆーわけで,他人が笑ったり泣いたり怒ったりしてるならば,自分もそーしていいのだと.つまり,


感情を前提にして考える.行動するとゆーことが重要なのでは?


自分の中に感情があるならば,それを抑えて溜め込むのは凶.喜怒哀楽,全てをうまく発散するのが吉.そのために理性を使うもんだと,このとき初めて理解したワタクシ.当時22歳くらいだっけ?
そして自分の感情を前提にして考えるようになると,自然と


他人の感情をも前提にして考える


なんてマネができるようになってしまうんである.あら不思議,それまでは外的な要因と当人の反応だけを見て「アイツは正しい」「間違っている」なんて一刀両断にしてたのに,感情まで考慮に入れると世の中の殆どのケースは「一概に正しいとか間違ってるとか言えナイ」とゆーコトに気が付いてビックリしたもんである.自分がそれまで正しいと信じてきたことはヒトツの基準に過ぎず,大した根拠ではあり得ないコトが判明したのダ.ワー!?てこた,今まで単なる好き嫌いに論理の武装をかぶせてたダケか.ナンテコッタイ.
ワタクシに感情があるならば,ヒトにもある.ワタクシにも理性があれば,他人にもある.ワタクシはワタクシの判断基準に沿って考えるが,他人もまたそれぞれの判断基準を持っている….人間みな同じなんてコトは言わナイ.だが殆ど全ての人間が,ヒトの持ちうる側面の全てを持つ,と考えるコトは間違っていないと思う.個性なんていうのは,言ってしまえばそれぞれの側面の程度の違いに過ぎナイのダ.モチロン,その個人間の差異に重点を置いて考えなければならないケースもまたイッパイあるんだけど,そこらへんは臨機応変.ケースバイケース.ケセラセラ(ちが).
んで,こんなケースを考えてみる.
ワタクシは特別思いやりや親切心に長けた人間ではない.が,それでも知らないヒトに道を聞かれれば教えてあげるし,それによって「ミチにマヨった,コマッタなぁ〜」とゆー顔がパッと明るくなる瞬間を見るのは気分がイイ.とゆーことは,である.ソレと同じ心理を他人に期待してもイイことになる.自分が何か困ったら,ヒトに頼んで助けてもらえばイイのだ.ラクチーン♪(コラ)

とまーそーゆー結論に達して,自己と他者との間に高く築いていた垣根がどっさり崩れたワケである.ナンでも自分ヒトリで解決しようして他人を遠ざけてきたコトで,ソレまでドレほど損してキタかを考えると悔しかったヨ.
ま,そんなこんなを経てワタクシは他人を全く恐れなくなった.同時に他人にとってもワタクシは親しみやすい人間に変わったハズである.えーっと,コレは飽くまで「過去の自分と比較して」とゆー意味で,他のヒト達と比べてどーのこーのとゆーハナシでなく.喩えて言うなら


具が大きい(当社比)のニュアンスを強調しておきたいってクダラネー.

んで,やっと魅力のハナシになるんだけど(あー長かった),魅力ってのは卓越した忍耐力とか自制心とかも確かに個人的な魅力の一要素にはなると思うんだけど,幸福の獲得にとって重要な魅力は
他人の好意は快く受け入れ,かつ他人の抱く関心や喜びに役立つ機会を与えようという態度を持っている
とゆーコトだと思う.そしてワタクシの場合,そーゆー態度は自分を特別視するコトを放棄するコトによって,カナリの程度得られたツモリ.無論ワタクシは不完全なので,キライな人間もいるし,そーゆーヤツが困ってると心の中で「ザマミロ!」とゆー心情が起こるコトがあるってコトは否定しないが,イイジャンソレクライってカンジである.
で,最後は例によってラッセルで締め括り.

「幸福な人間」
幸福な人間とは、情熱と興味とを自己内部に向ける自己中心的な人ではなく、自己を外部の世界に適応させる、さまざまな試みを努力してやる人である。また、客観的に考えて行動する人である。自由な愛情と広い興味をもてる人で、他人に愛情を分け、他人の愛情を心良く受け入れる人である。
 幸福な生活は、大体において、道徳的な生活に似ているが、幸福と善とは別である。
 職業的道徳家は、克己に重きを置き過ぎる。だから人間を自己没入的にする。克己だけが直接目的となり、善と幸福とを同一視して、究極的な目的を見失う。必要なのは、克己中心ではなく、自然に自発的に人々を対外的な興味へと指導して行くことだ。
 すべての人々の不幸は、何らかの種類の自己内部の心情の不統一、意識的精神と無意識的精神の協力不足・融和の欠如に基づいている。
 幸福な人間には、自己と社会の融和があり、自己分裂も世界との対立もない。幸福な人間は、自分を宇宙の一員と感じ、宇宙の提供する展望と自由とを楽しみ、死にも何ら煩わされない。

ぷはー.って補足しとくけど,魅力さえあればシアワセ間違いナシとか思ってるわけじゃないからネ,念のため.あれば,有利ってダケのハナシ.