その11 〜信念なんてありません〜

しんねん 【信念】
(1)固く信じて疑わない心。行動の基礎となる態度。
(2)神仏を固く信ずること。信仰。

前回書いたように,ワタクシは自分に対する確信というものを持ってナイ.いちおー,今までの知識と経験から考えられる限り,ベストだと思える価値基準ならばある.でも,ソレを信じるというコトはデキナイ.だってその価値基準に従って行動すれば必ず良い結果になる,という保証はドコにもナイんだもん.
ワタクシが過去に抱いていた判断基準も,やはり当時のワタクシにとっては考えられる限りベストのモノであった.でもソレにしたがって取った行動は,必ずしも望ましい結末を導いてはくれなかった(「オトシタカケラ」はその典型).今の価値観は,過去のモノに比べれば幾分マシになっていると思うけど,ショセン万能ではナイよネ.だからイクラでも改善の余地はあるだろうし,時と場合によって臨機応変に判断基準を切り替える,とゆーコトはスゴく重要だと思ってるシダイ.

とゆーワケでワタクシは「信念」とゆーモノを好まナイ.確かに,強い信念に導かれた行動が,大きな成功をもたらし得るコトは否定しナイ.…のだけど,信念は,しばしば「自尊心」や「自分らしさ」と強く結びついちゃうもんだからタチが悪いんだヨ,とゆーコトを強調しタイ.

過去の自分も当てハマるので,こんな例を考えてみる.「他のヒトに何を言われようと,自分が正しいと思うことをやるんだ」とゆーよーな強い信念を持つシトは,確かにカッコヨク見える.けれどもそーゆーヒトは物事が思い通りに運ばなかった時は,親しい友人や恋人に向かって,周りの人間がいかに間違っているか,そして自分は正しいことをやったつもりだ,と言う.その友人や恋人が,本人をよく理解してくれている場合には,「大丈夫,キミは間違ってないよ」とか「そんなアナタが好き」と言われて安心する…
とゆーのはシカシ,ソレでイイんだろーか.

もし(目的はどうあれ)正しい判断の下に正しい行動が行われれば,目的に適った結果が得られる,というのが正しいならば,その逆,上手くいかなかったときは間違っていたのかも知れないと考えるのが自然ではなかろうか.上の例からはそーゆーシンプルな問いかけが抜け落ちている気がする.どうしてだろうか…というのはまた明日以降に.
…続く