その13 〜信念なんてありません4〜

確かに信念は,ソレを掲げるシトにとっては重要な行動の基準だ.だが,そもそも信念が欲求の現れである以上,その行動基準というのは「不幸を避ける」或いは「幸福に得る」ためのモノであったハズなのだ.だが一旦ソレがウマくイッたときにワナにハマる.「どんな場合にもこの基準に従って行動すればウマクイク!」と思ってしまうのだ.
でもって,一般的なイメージとしては「強い信念を持つ」コトはカッコイイ.成功したビジネスマンは自分の成功体験を綴った著書で必ず言う.「全てを犠牲にしてもコレダケはやり遂げるという信念を持っていればナンデモデキル」とか.他にもどんな困難の中でも自己を貫き通したシトの伝記とか読んだら,やっぱり感動しちゃうし.
なわけで,ココで信念が自尊心と結びつく.更に,そのよーな信念を持つシトとして他者に認められると,信念=自己となる.「どんな状況でもソレに従って行動することが,ワタクシのあるべき姿」みたいな.カッコ良く言うと「確固たる自己」を持つ,とでもなるかな.カッコイイ.確かにカッコイイね,そーゆーの.すると,しかし,どーなるんだろうか.
ヒトコトで言うと,本末が転倒する.本来幸福を得るためのモノだった信念なのに,「どれほどの不幸に陥ろうとも,ワタクシはこの信念に従う」「失敗してもいい,コレがオレのやり方なんだ」てなコトになる*1
ワタクシ,コレは不幸だと思う.
彼は信念を曲げてしまうと,コレまでに獲得した「尊敬」を失うと思っている.自信を失い,自己の拠り所がなくなってしまうと信じてしまっているんである.
尊敬を失うのはその通りかもしれないが,しかし,そもそも信念を放棄したら離れていくようなシト達は,最初から彼の幸福をもたらしはしなかったろう.
更に「自己」についても検討しなおす必要がある.自己は「信念」というたったヒトツに要素から成り立っているんでない.ワタクシの「自己」構成要素は,背が高い,細い,ハゲアタマ,メガネ,出っ歯…外見だけでも様々な特徴がある.仮にワタクシが今から20kg太って,髪型をロンゲにしてしまったとしても,ワタクシはワタクシである.内面的なコトにしてもオナジコトだ.性格や価値観が変わったからといって,ワタクシがワタクシでなくなるモンじゃナイ.
何度も言うが,信念は欲望の表現に過ぎない.しかし凝り固まった信念は,本人をして他の全ての欲望を否定させてしまうがゆえに,非合理である.信念を本来の他の欲求と同じレベルまで引き下げ,他のあらゆる欲求と比較・吟味し,どの欲求をどうやって,どの程度満たすかを考えるのが,id:KEN_NAITO:20041118で述べた理性の役割だと思っている.


世の中にはどんな状況でも通用する判断基準なんてあり得ない.また,ワタクシには何かを犠牲にしてまで貫くべきと思える自分らしさも持っていない.だからワタクシには,信念がナイ.

私とは,何か.外見的な特徴か.内面的なものか.あるいは記憶か.
しかし忘れてならないのは,自分の特徴を全く何も憶えていない記憶喪失患者でさえ,自らを「私」と呼ぶ――ウィトゲンシュタイン

*1:そーゆー危険があるって意味ネ,あくまでも