番外編 〜この本読みタイ〜

松岡正剛の千夜千冊をいつものようにサラッていると,美輪明宏の「ああ正負の法則」に出会った.紹介文を一部引用…って長いんですけど

 これは、神様にこっそり内緒でつくった人生のカンニングペーパーなのである。そのペーパーには、世の中には「正と負」というものがあって、この正負の両方をそれぞれどのように見るか、見立てるかが、その人間の魂の問題のみならず、人生全般を決定的に左右すると書いてある。これが正負の法則だ。

 このことを理解するには、まず「儚さ」を知る。人生そのものが儚く、成功が束の間のもので、どんな充足も失意も現状からは決して窺い知れないものだと思いなさい。美輪さんは、まずそこを言う。
 たとえ合格や儲けや結婚が正に見えたところで、その価値はいつまでも同じように続くわけではなく、たとえ病気や借金や裏切りにあおうとも、それだけで負の不幸だとはいいきれない。「はか」とは日本中世の人生の単位であるけれど、だから「はかがいく」「はかばかしい」とは、いろいろなことがうまく進捗することではあるけれど、その「はか」がたとえうまくいかずとも、それを「はかなし」と見て、無常や儚さという美を立ち上げていったのが、かつての日本人だった。
 いま、その「はかなさ」を知ることをみんなが恐れるようになっている。これはいけませんというのが美輪さんの出発点なのだ。
 正があれば、必ず負がやってくる。負を避けつづけようとすればするほど、正は歪んでいく。ここは、おおきに見方を変えるべきなのである。まずは負を先払いする気持ちが必要なのである。


 世の中、光があるから影がある。夜があるから昼がある。歴史があって現在がある。資金が流れるところがあるから、溜まるところもある。それで溜めておけば勝ちなのかといえば、まとめて投資した土地が一気に下落してパーになることもある。
 いつまでも正が正であるとはかぎらない。すべてがダメということもありえない。絶対の孤独もないし、長期にわたる至福というものもない。孤独なときはそれなりに誇らしく孤独であればよく、そんなときにつまらぬ相手と連(つる)むことはない。
 万事は相対的なのである。惚れすぎれば憎さも募るし、子供のころは憎かった親が、いつしかありがたくなるときもある。巨乳に憧れたところで、やがて歳をとれば巨乳はかえって垂れ萎んで、自分でもぞっとするほど醜悪になる。最初から小さなおっぱいならそういうことはない。正負の見方を変えるべきなのだ。
 では、どのように? どこで正負の見方を変えるのか。
 そこで美輪さんは、「前もって負をもちなさい」という画期的な方法を提示する。「そこそこの負を先回りして自分で意識してつくるといいでしょう」というふうに言う。

 もともと美輪さんが生まれ育った長崎の家は、まわりが女郎屋や遊郭で囲まれていた。貧富の差も激しかった。そこでは「美人薄命、美人薄幸、醜女(しこめ)に病いなし」という囃し言葉がはやっていた。
 花街では美人は最初は売れっ子になるものの、たいていはしだいに落ちぶれる。病気にもすぐかかる。それにくらべて貧しい女たちはよく働き、体も丈夫で、そこそこの暮らしで満足できている。美輪さんはいやというほど、そういう例を見て育ったようだ。
 それだけでなく、美輪さん自身の人生がめちゃくちゃに苦労を負いつづける日々だった。女の子っぽいというだけで化け物扱いをされ、つねに揶(から)かわれ、徹底的にいじめられてきた。やっとデビューしても、行き倒れになったこともあれば、シスターボーイと日陰者扱いもされた。
 そうしたなかで美輪さんは、クラシックの音楽修行からシャンソンに転出し、さらに自分で歌をつくるところまでこぎつける。その変わり者ぶりが江戸川乱歩川端康成三島由紀夫の目にとまることになったわけではあるが、それは世間が正の美輪明宏を認めたわけではなく、負をおもしろがったともいえた。
 それから時は流れて数十年。
 美輪さんは自身の来し方をよく見据えて、世の中を見る。天界から人界の評価観と価値観を見る。美輪さんを称賛した人々にも毀誉褒貶があることを見る。美輪さんを遠ざけた者たちのその後の生き方を見る。そして、誰もが見過ごしてきた重大な見方に気がついていく。
 なぜ、そういうことが美輪さんに集中して深化したかということは、いまさらぼくが説明するまでもないだろうが、たとえば、いちはやく美輪さんを評価した川端・三島の二人が、二人ともに自害したなんて、いったい他の誰に降りかぶさるだろうかということを思い合わせただけでも、美輪明宏にして語りうる人生哲学があってよろしいということになるはずなのだ。


 こうしたすべてを観察し体験してきた美輪さんは、あるときハタと悟ったのである。
 なんだ世の中、正だけでは動かない。負だけがダメだということじゃない。そこには正負のめまぐるしい変転があり、正負の端倪すべからざる取引がある。
 しかし、世の中はいまや正常値ばかりが社会の全面で登録されるようになった。法律的に正しいものだけが罷り通っている。健康という正の基準が決まり、二酸化炭素やPCBの安全比率が決まり、食品の賞味期限が決まっていった。精神さえ正常が尊ばれ、異常は犯罪者としてすら負とみなされる。なんでもが正、大事なことはみんな正。そうでないものは、すべてが負に貶められるばかりなのである。
 これでは当然ながら、みんなが挙って正を求めることになる。みんなが中流の正の席に着きたいと争い、みんなが正の生活を貪ることになる。ところが、そんなことはとうてい不可能なことなのだから、そのうちの多くの者が突然の負に出会って傷ついていく。その傷ついた親のもとに育った子にはトラウマが残っていく。
 それでいいのか。そんなニッポンでよろしいのか。誰もが幸福になる日本構想なんて実現できるのか。みんながみんな正になれるのか。美輪さんはここで断固として、ベルカントで叫んだのである。「これは、どこかが間違っている!」。


 かつて、童謡というものは「おうちはだんだん遠くなる」と歌ったものだった。「赤い靴はいてた女の子」は「異人さんに連れられて行っちゃった」のである。
 金襴緞子の花嫁人形はしくしくと泣き、叱られれば町までお遣いに行かなければならず、雨が降っても傘はなく、紅緒の木履(かっこ)の緒は切れる。動物にだって、悲しいことも儚いこともおこっていた。ウサギは木の根っこに転び、ちんちん千鳥は泣くばかり、歌を忘れたカナリヤは後ろの山に棄てられ、背戸の小薮に埋(い)けられた。
 大正期はこういう童謡を、北原白秋・野口雨情・三木露風西条八十らの大人たちが、全力でつくっていたものだった。そのことが何を意味するかは、ぼくも『日本流』(朝日新聞社)の序章をつかっていろいろ書いておいたけれど、一言でいうのなら、これは子供たちにも正ばかりの社会ではなく、負の社会や負の人生や、負の一日だってあるということを、中山晋平本居長世の曲にのせて歌っていたということなのである。

 いまは、それがまったくなくなった。誰もが同じ正を求めて、エルメスを買い、グッチに群がり、かっこいいベッドを買って、おいしいランチの自慢をしあう。
 女の子は美白じゃなければダメ、子供はいじめるのもダメだが、いじめられるのもダメ、英語が喋れなければダメ、だから第二公用語にしてでも英語を喋れるようになるのが正、オリコンチャートの上位に上がった歌だけがヒット曲で正・・・などなど。これでは、オリンピックで負けた者はうなだれ、リストラ社員は戸惑い、いい小学校に上がれなかった親は他人の子を殺したくなり、マスコミはヒーロー・ヒロインを探すか、そうでなければアンチヒーローばかりをくりかえし映像にする。
 これでいいはずはないのだが、ではどうすればいいかということは誰もがはっきり提示していなかった。
 負を買いなさい。先に負をもてばいいじゃないですか。誰にだって負はあるんです。それをちゃんと自分で意識しようじゃないですか。
 そう、美輪さんが言い出したのだ。これが正負の法則であり、ぼくがやたらに気にいっている「負の先払い」というものだった。

ああ正負の法則

ああ正負の法則