その23 〜頑張れとか,頑張るなとか2〜

ちなみに今回のシリーズは,身近な人間が鬱になってしまった場合にどう対応すればいいのだろう,というのを考えていくことにしようと思っている.或いは,鬱になってしまうのを防ぐ考え方,みたいなものを.

努力は,その先にあるもの,合格とか成功とか女とか,そーいったものが満たしてくれる欲求が,苦労や失敗の痛手を上回る場合に積み重ねるものだと思う.努力そのもの,頑張っているコト自体を称賛する気になれないワタクシは,ヒネクレているだろうか.

よく「頑張れ」というコトバを耳にする.最後まで諦めずに頑張れば,必ず何かが見えてくるとか,そんなカンジだ.だがソレは同時に,頑張れない人間はダメなヤツだという意識をも生み出してしまう.

「頑張り=善」「怠け=悪」.鬱になるヒトにはそんな傾向がある.受験勉強を頑張って乗り切った.勉強をサボっていた連中に対して優越感を感じた.見下し蔑みさえした.しかしいざ社会に出てみれば仕事が面白くなくてやる気が出ない.だが怠け者へと「転落」するのを恐れて,頑張り続けようとする.面白くない仕事でも我慢して,耐えて,頑張るのが自分のあるべき姿.手を抜くのはダメなヤツだ…
他人を厳しく評価するヒトは,他人も同じ基準で自分を見ていると思ってしまう.だから他人の評価が怖い.自分が今まで認められてきたのは頑張ってきたからこそで,頑張るのをやめたらダレも評価してくれなくなってしまう.でも仕事は面白くない.堪え続け,頑張り続ける日々.受験を頑張ったのは,こんなことのためだったのか?
そして頑張りきれなくなった瞬間,「私=ダメなヤツ」というレッテルを自分で貼ってしまう.
そんなところへ「頑張れ」なんて言われたら? 事態は益々悪化するだろう.やっぱりホントは頑張らなきゃいけないのに,頑張れない自分はダメなんだ…

当たり前だがコレは,頑張れるか頑張れないかの精神的タフネス,強さのモンダイではナイ.「努力は善」「怠けるのは悪」とう考え方が,時と場合によっては害にしかならないコトもあるというコトを,「知る」のでなく「理解する」ようにならなければ,モンダイは解決しない,と思うワタクシ.今日はここまで.

…続く.