その27 〜頑張れとか,頑張るなとか〜

その26では自分の中の「是」と「非」を,他人のそららと比べて相対化してみると「是」が是であり,「非」が非である根拠が希薄になって,思考や行動を縛り付けている枷がハズれるだろうと書いた.そしてもう一つ重要なコトがある,とも.
ソレはなぜ,どのような経緯・経験を経て自分が今のような価値観を持つようになったのか,というコトだと思う.ソレをシッカリ説明できるヒトは決して多くはナイと思うが.
人間の性格には遺伝・先天的に与えられた大枠はあるけれども,生後の外部環境からの刺激に対する反応としての学習を重ねて決定されるトコロもまたカナリの部分を占める.キョクタンな例を挙げると,信用していた親友の裏切り行為を受けて,ヒトを信じるのは意味のナイことだと考えるようになる,とか,子供時代みんなにバカにされながら育ったモンだから権威に寄り掛かるコトで自分を保持しようとするようになり,結局クソ真面目で堅い人間になっちゃうとか.ってどっちも過去のワタクシだけど(爆).
なもんで,ワタクシはある種の物事について自分が他人と違う考え方をしているコトに気付いた時,自分の経験を遡って,自分が今の考え方をどうやって形成したのかを逐一考えるコトにしている.子供の時に周りからバカにされてたからと言ってオトナになってからも状況が全く変わらないなんてコトはマズないワケで,そー考えると,ルールを守るべきか破るべきかはかなり自由に考えられる.ルールを守った方がトクなら守る.破った方が楽しくて,破ったからといって大した損害も出なさそうな時は,破ってしまえばイイのだ.人間関係だって一度裏切られたからと言って,全員が全員ワタクシを利用して,用がなくなったら捨てる,みたいなコトをするワケでもナイ.ヒドイヒトもいればそうでないヒトもいるワケで,関係した相手が結局どんなヒトなのか確率のモンダイに過ぎナイ.少なくとも,誰とも深い付き合いをしないなんてコトになると,人生の楽しみを大いに減じてしまう.

だからワタクシは鬱のヒトのハナシを聞くとき,そのシトの価値観の偏りを探し,偏っているコトを伝えるようにしている.「どうしてそんな風に考えるようになったのかな」が,キーワードだと思っている…今のトコロはネ(弱腰).

…続く