やっぱメルマガって必要ネ.

id:icchihiさん向けの情報だけど,こーゆー情報はチョー重要でしょ,とゆーワケで「転載禁止」と断られている記事を一部抜粋してしまう.出所はコチラ
http://ryumurakami.jmm.co.jp/


上海在住に日本人ビジネスマンのレポっす

 2005年4月16日、上海では2万人とも言われる「反日デモ」が行われた。これは、先週の北京・シンセンのデモに触発されたもので、17日には全国的な規模にも拡大して行った。

 デモが行われた上海から、翌日の17日東京に戻って、一昨年起きた「SARS騒動」に感じた思いが、再び蘇った。日本におけるマスコミの対応、友人・知人の反応は、あの時と全く同じ状況で、「過剰反応、報道の異常さ!」である。

『「花粉症」と言われる病名はいつ頃から使われ始めたのであろう』古来より存在する植物の花粉にアレルギー(異常)反応を起こす現象は、その体質に限らず精神心理までも、侵しているのかもしれない。そして更に、中国において度々指摘される、「過去を忘れる日本人」を、自らが実感している。

 僅か35年前、昭和44年(1969年)、日本は「70年安保闘争」に明け暮れていた。筆者自身も当時、在校していた高校で禁止されていたにも拘らず、佐世保米軍基地に向けたデモの中に居た。「60年、70年の安保闘争」は、その後の大学運動に過激さを加え、「成田闘争」(昭和42〜60年)や「安田講堂攻防戦」(昭和44年)、そして「浅間山荘事件」(昭和47年2月)に繋がっていった。

 その結末によって、「闘争・デモ」は急速に市民の支持を失い、消滅していった。これが、日本国民の、「デモに対するアレルギーになっている」のかもしれない。しかし、それは「忘れて良い事」ではない。

 多くの新聞やTVメディアに登場し、コメントをする、「見識が高いと、見られている人々」は、殆どが50代以上の年齢であり、彼らは自分の「青春の真っ只中」で、あの時の混乱、悲惨な事件を、実体験として共有したはずである。その事を「忘却の彼方」におき去り(葬り)、「暴動・暴徒」と、「一刀両断に切り捨てる」。そして、中国政府の限界を云々する。

 長期に亘った、あの時の闘争(デモ)に比較したら、今回の中国におけるデモは、「そよ風が吹いた程度」でしかない。むしろ、「中国の若者の健全さ」に、「爽やかさ」さえ感じる。勿論、破壊活動を容認するものではないが、今回のデモで投げられたものは、飲み物の入ったペットボトルであり、当時は「火炎瓶という凶器」であった(集団行動において、一部の人が暴走することは防止不能な出来事であり、その行動が集団全ての意志ではない)。

 人は「過去に学ぶ」ことで、文化や技術を進歩させてきた。昨今の日本の新聞報道やメディアは、その事を忘れ、「何故、デモが起きたのか、起きるのか」「かつての日本は、どうだったのか」「日本の若者は、何故デモをしないのか」、そのことに対する「問題提起」がなされているとは思えない。


〜中略〜


 人間も社会(国家)も、成熟する過程において、理想と現実の狭間で「不安と葛藤、矛盾に対して、やり場のない怒り」をもつ事は、通過しなければならない儀式なようなものである。それは、思春期における、「性への嫌悪感と、憧れ、欲望」への、心理状態に似たものに過ぎない。

 中国に収入の格差や、不平等などあることは事実であるが、それは大なり小なり、どのような国家(社会)においても存在していることである。社会的格差は、平等な機会が得られること(頑張った者が報われる)によって、社会経済が発展するエネルギーにもなる。過度な平等は、努力する人や能力・体力のある人への不平等に繋がり、それは社会の活力を失う要因ともなる。

 大衆の暴走を、時の体制が利用するのは「世の常」であり、それは日本でもあったことで、特別中国の政権だけが、それを行っている訳ではない。体制の主流派は、世情の動きを利用して「体制の維持を図り」、反体制派は「転覆を図る」。これは何時の時代でも行われたことである(中国政府は、デモによる一部破壊行為に謝罪をしていないが、上海市は被害を被った店舗等に補償をする動きが出てきた)。


〜中略〜


 日本の報道は、日本が過去に歩んで来た道を忘れ、「悪戯に不安を煽っている」と感じる。日本と中国は、歴史的にも、現在の経済関係においても、重要なパートナーであり、その関係を維持・発展させるためには、「自分の価値観を押し付けず、相手の文化を理解し、相手の心情を害する行為をしてはならない」、このことに、率先して充分な留意を払わなければならない。


〜中略〜


 17、18日、見た限りの報道において、複数の報道機関(TV)では、今回のデモは「中国では、全く報道されていない」とコメントがあった。これは全くの誤りである。16日夕方には、上海において(短い時間ではあったが)「デモの様子」が報道されていた。意図的ではないにせよ、このような誤報は、中国の実態を経験することのない日本人に「大きな誤解を生じさせているのではないか」と懸念される。

 TVに出演するコメンテーターが個人的主観を述べる事に、異論を挟むものではないが、事実の報道と異なる所見も同時に報道し(反中国が国民の意思なのか?)、視聴者が判断出来る情報を提供すべきである(マインドコントロールされているのは、日本の視聴者ではないのか……)。

 今回の「デモ」によって、「中国事業を見直す」のも、「旅行を中止する」のも、それぞれの企業や個人の価値観によって判断されるものであり、それを外部の者が云々すべきことではないが、その判断の要件には、正確な情報収集が肝要であり、報道機関にはその事実を報道する責任がある。

 日本における「右翼団体の宣伝カーの演説」が、「日本国民の総意ではない」ことは、日本人誰でもが知っている(しかし、その事だけを報道で見せられた人々はどの様な判断をするであろう……)。

 中国の「反日デモ」も同様で、上海のデモは1400万人の中の2万人程度であり、中国全体では約14億人の中の十数万人に過ぎない。この「反日デモ」は、「中国人民の総意ではない」と、筆者は思っている。

 日本の加熱報道によって、日本の友人・知人が安否を心配し、多くの電話やメールを頂いた。「上海は、天気曇りなれど、平穏なり」(過剰反応で、徒に騒がないで…)

〜後略〜


そうだよなー.70年代の日本人は火炎瓶投げてたんだ.今の中国人と昔の日本人とどっちが暴徒なんだよってツッコミには頷かされた.