その37〜They can't make me quit!〜
結局,「モノ」も「コト」も,みんな移り変わっていってしまうんである.「コレこそがワタクシの幸福の条件」と信じていたモノが,突然に奪い去られてしまうコトだって大いにあるのだ.だけどソレでも,幸福になるコトは可能だと,ワタクシは信じている.ソレは,ワタクシ自身もまた変わりゆくモノのヒトツからだ.自分が変わる,とゆーことはトーゼン,ワタクシにとっての「幸福の条件」も変わるってコトである.
あまり説得力のある例とは言えナイ気もするが,コドモ時代に満足デキた条件と,今の自分を満足させるのにヒツヨーなモノとは違うハズである.[missing]で書き綴った一連のデキゴト以前のワタクシとそれ以後のワタクシでも,「幸福の条件」はマッタク違っている.
喪失⇒自分の変化⇒新しい幸福の発見
とゆープロセスは,マズ可能だと考えてイイんでないだろーか.
ダレにでも共通して効果があるよーな幸福の万能薬や特効薬なんかが存在しないのと同様に,「コレからの自分を死ぬまでシアワセにしてくれるモノ」なんてのも,まあ,ナイだろう.でも,だからこそ,何かを失った後でも希望を見つけ出すコトは可能である.
「自分を変えるコトなんてデキるの?」と,聞かれたコトは何度もある.でもその質問をした本人が,別の機会に「あの体験を通して私は変わった」なんてヘーキで言ってたりする.コレまでに自分が変わった体験があるのなら,コレからだってソレはジューブン起こるだろう.別に特別な体験なんかしなくたって,ヒトは気が付いたら変わってるのがフツーだと思うケドさ.
とゆーワケで,モッカイ言っとくよん.
「ワタクシが幸福な人生を送ろうとするのを辞めさせるコトは,ダレにもデキナイ」
オマケ
もっとも,コレは少し寂しい事実を孕んでいるんだけどネ.ソレは…
「ダレかが幸福な人生を送ろうとするのを辞めさせるコトは,ワタクシにはデキナイ」
このフタツはセットでしょ,ヤッパリ.いくらタイセツな人であっても,そのシトが自分のシアワセのためにワタクシの元から離れていくしかナイのなら,ワタクシにはソレを止められナイのだ.
…さ,働こ.