其の四「もっと素直になれよ!」

id:ain_ed:20050915「お見送り」も合わせて読まれたい。


「もっと素直になれよ!」


コレ嫌いね。特にこーゆー使われ方をしたバヤイ。


男「カレシもいないでヒトリでいるのって寂しくない?」
女「別に。気楽でいいですよ」
男「素直じゃないなあ」


とか、まあワタクシの場合だと


「今お母さん帰ってきてるの?」
「うん、まあ」
「じゃあ、家事とかやってもらえていいわね」
「いや、別に料理も洗濯も自分でやるから早く神奈川に帰って欲しいっす」
「まあ、強がっちゃって。もっと素直になりなさいよ」


素直になる、とはどーゆーことなのか。自分の考えや感覚をウソイツワリなくショージキに語るコトは、素直とは言わんのだろーか。


「素直になれ」とゆーコトバのウラに潜んでいるモノは、「人間これこれこーゆー場面においては○○な感情を抱くモンだ」とゆーお決まりのステレオタイプだ。そして、素直になれ、その意味も考えずにカンタンに言ってしまうのは、確認したいからなのだ。「ボクもアナタも、みんな同じ」ってコトをね。ボクもそーだし、だからアナタもそーでしょう?なんて、自分と同じ弱さを他人に見出すことによって、安心したいからだ。


それから、モヒトツ。素直になれ、と言うコトバを使うのは大抵、集団内で既得権を持っている人間である。上に挙げた例の一つ目の方は、オトコ。オトコに従属しない女性が増えれば、オトコは既得権を失う。「素直じゃない」存在は、彼らにとって既得権の喪失、とゆー不安を起こさせるモノなのだ。「素直じゃない」感性は彼らの中では抹殺されるか、極端な例外として処理される。


でもさー、ホラ、アレでしょ。大前提的なモノがあって、それを確認し合うだけのコミュニケーションほど、ツマラナイモノはナイと思うんだワタクシは。

他人を理解するのは簡単ではない。しかしその困難さを理解しない者は、尚更その達成が不可能となろう。


相も変わらず、バートランドラッセルだったり。