九月二十四日

七時半起床。睡眠僅か四時間半。そろそろキツくなってキタってカンジである。しかし午前中に会おうとしているお方が昼からお出かけしなきゃイケナイってワケで早く出ないワケにはイカなかったのだ。


で、目的地は東京大学農学部。茨城時代にマコトにお世話になった研究員の方が、今年から出世されて東大の助教授になっておられるんである。37(多分)で東大助教授なのだから、キャナリのスピード出世なのだ。でまあ、日本に帰ってからまだお目に掛かっていないので、今回関東にいる間に会えませんか、ついでに東大って見たコトないし案内して下さいってワケである。


で、時計台からはサスガの貫禄を感じたのだが、夏目漱石三四郎」の冒頭に出てくる三四郎池には幻滅であった。あああ、冒頭シーンのイメージが・・・_| ̄|○・・・もっと手入れしてくれぇ〜


ソレは兎も角、東大散策が終われば喫茶店に座って専門トークである。何と言ってもこの方はワタクシにとって最初の師匠。自分がアメリカで得てきたデータや知見を基にハナシを展開。が、サッサと時間の方が過ぎてしまい、少し物足りない状態でお別れとなってしまった。また次の機会を楽しみにするしかない。


それから同じく東大で超ヒモ理論をやっているアイサカくんを呼び出し、下北沢にて「人間とは?」「自分という存在の意味は?」などのテーマでケンカをする。彼の頭脳はワタクシの数倍のスペックを持っているため、彼の言わんとするコトに付いてゆくのもタイヘンなのだが、「生きる原則として矛盾のない体系とゆーのは必要ない、だって矛盾のないものは全てが論理的な演繹だけで証明できるわけで、そんなのは詰まらない。だから生きる原則は矛盾のあるもんじゃなきゃいけない。いやイケナイとは言わないが、少なくとも自分はそーいったものを見つけたい」とゆーカレのコトバはワタクシの胸にキョーレツな印象を残したのだが、別れてからシマッタと思った。西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」を持ち出せばヨカッタ。別に矛盾くらい、いくらでもあったってイイのだから。とにかく、大脳新皮質のスミからスミまでを使い切った五時間であった。


・・・って、五時間も喋ってたのかよっ��( ̄□ ̄;)!?


人間が、とか存在が、とか、ワタクシ的にはマジでオモチロな時間だったのだが、果たしてアイサカくんにとってもそーであったのかどーかは、ワカラン。楽しんでくれてたらイイのだけれど、ワタクシのノーミソではモノタランかったカモ知れんとゆー危惧は否めない。


さてそして夕方七時。次は海老名にて、大学卒業以来の友人、ジュンミチダと会う約束である。ワタクシの拠点秦野と、ジュンミチの住まいである横浜との間を取ったロケーションだったのだが、お互いに初めて足を踏み入れる地であった。しかし駅前に広がる商業コンプレックス「VINA WALK」を見てアンシン。コレならどっかに食べるトコロくらいあるだろー。しかし海老名の下二文字をとってVINA WALK,しかもBじゃなくてVなのかよ、とゆーハナシが二人の間で交わされたコトは言うまでもナイ。


で、カレは昨年結婚してダブルインカムなのだが、店に入って席に着くなり言われた。


「別におごらないからね」


こーゆー恐ろしくショージキで全く見栄を張らないトコロがスバラシイ。で、最近ワタクシの友人達が27とゆー年齢を境にして次から次へと結婚していったはいいが、どぉ〜も落ち着いてしまって刺激に欠けるし、ワタクシはヤだなぁ、そーゆーの、みたいなハナシにもなったのだが、ジュンミチダはまた飄々として言う。


「そーだよね。やっぱナイトウくんみたいに目指すものがある人生みたいな友人がヒトリくらい欲しいもんなぁ。ボクはやらないけど


その割り切りブリがステキなんだってば。


そんなこんなでかわるがわる三人と会い、喋り続けて声が枯れた一日であった。