これ気に入った。

村上龍のエッセイより抜粋。

わたしたちは、たとえば非常に美しい景色を見たときに、それに感動するだけではなく、これを誰かに見せたいとよく思います。そういう風に思う対象は、たいていの場合「大切な人」です。

つまり、大切な人というのは、何か感動的な体験をしたときにそれを共有したいと思える人です。信じられないほどおいしい料理に遭遇したり、ワインを飲んだり、音楽を聞いたり、絵や映画を見たり、美しい風景や建物に出会ったときなどに、この感動をいつか共有したいという対象となる人が、その人にとっての「大切な人」なのだと思います。そして、それが実現したときに、その人たちが同じように感動するのに接すると、自分一人で感動したとき以上の喜びが湧き上がることもあります。それは広義のコミュニケーションであり、わたしたち人類はコミュニケーションそのものに喜びを感じる生きものなのでしょう。

昔読んだ本の中に、人類が直立二足歩行を開始してから、両手が自由に使えるようになり、わたしたちの祖先は狩りで捕った獲物や採集した果実などを、洞窟の中で待つ家族や親族のためにそれまでより楽に「持ち帰れる」ようになったのだと書いてありました。自分が餓えを充たす快感よりも、大切な人たちが喜んでくれることを成し得たという快感のほうが大きいのだということが、わたしたちに深く刷り込まれているのかもしれません。


こーゆー生き方をしたいね。