無限ループからの脱却。

どえらく前のことだが、こんな日記を書いた。

大人になる,というのはやりたくても力不足で出来なかったことが出来るようになる,ということだ.子供のウチは親にオモチャを取り上げられたら泣くしかないが,そのうちオモチャくらい自分で買えるようになる.大人になる=辛抱が利くというのは違う.むしろ大人になれば辛抱なんかしなくてよくなるんでないかい.

もちろん我慢や諦めが必要ないというわけではない.大人になるにつれ、楽しみを得る手段のレベルも上がる.小学生時代は無限に広がっているように見えたグラウンドが,大人になってから見ると「あり?」と肩透かしを食らったように小さく見える.少年時代はラジコンが宝物だったとしても,本物の車やバイクに乗り出したらラジコンなどやってられない.実際に車を運転できるようになる(免許を取って車を買う)のとラジコンを買って組み立てるとでは,本物の富士山と我が地元の近江富士を比べるようなモノだってスゴク分かりにくい.つまりレベルの高いコトをするには必要なお金を貯めて,必要なものを揃えて,それが出来る所へ行って,場合によっては専門的な知識や技術を身に付けて…という準備が必要になってくる.その準備の間は必然的に我慢しなければならなくなるのだ.車学の教官がどんなにヤなヤツでも我慢して言うことを聞く.車を買うお金が貯まるまでは,ムカつく上司がいても我慢して働くetc….で,さらにレベルが上がってお金や時間や労力が必要になってくると,やりたいことをアレもコレもやるわけにはいかなくなる.そこで,どうしてもやりたいことを1つに絞って,他のことは「諦める」ことになるわけだ.要するに自分がやりたくないことのために我慢をしたりするのが大人なのではないってことだ.

イチローは日本のプロ野球でいくら新記録を作っても満足できないだろーし、ミハエル・シューマッハーがゴーカートのレースで勝ったって、バカバカしいと思うだけだろう。人間欲しいものを手に入れた後では、同じものではもはや満足できないのである。だから次にはそれ以上のものを求めるしかなくなるのだ。


コレを書いた頃はワタクシの価値観は未だ若い頃の村上龍的であった。よーするに、「ドキワクな瞬間」ってのが、人生において最も大切なモノだと考えていたわけである。だが人生は、欲しいものを手に入れれば終わりだとゆーワケにはイカナイ。それでも人生を「ワクワクするよーな瞬間の連続」にしよーとすれば、どんどん達成の困難なモノを目指していくしかなくなってしまう。だが人間年齢と共に、必然的に体力は衰えていってしまうのである。だとしたら、そのうち自分の方が疲れきってしまうのではないか?そんな不安を、いつもココロの片隅に抱えていたワタクシであった。


あー、長くなりそう。続きは明日、かな。