雨の庭。

写真は明日アップするけれど、仁和寺の庭園、スバラシのヒトコト。天候は生憎の雨だったのだけど、いやいや、生憎などトンデモナイ。雨の降る庭園、坐して思索を巡らすにはモッテコイである。


西洋の一神教は一瞬の判断が生死を分ける砂漠で生まれた。砂漠で向かうべき方向を「あーでもない、こーでもない」なんて考えてたら、あっという間に死んでしまう。唯一の神が全てを決めてくれれば、判断に迷う必要はない。


対して、インドで生まれ、発展した哲学はマッタク違う。それこそあらゆる現象に関してあーだこーだとグダグダ言ってるのが仏教も含めたインド哲学だ。それは、インドには長い雨季があることと無縁ではない。雨が降り続いている間、ヒトは何もすることがない。何もすることがないから、色んなことを色んな切り口から考えることができた。いや、雨が人間をそのように仕向けた、と言った方がテキトーかも知れない。


日光が燦々と輝く中での京都観光も良いけれど、たまには敢えて雨の降る日に寺へ出かけ、腰を下ろしてしとしとと濡れる庭をぼんやり眺めながら物思いに耽る・・・そんな休日の過ごし方、ヲススメである。