今年の目標、とゆーか・・・

2005年は外面的には昨日の日記や↑みたいなネタくらいしかなかったのですが、去年は頭の中ではずっと「幸・不幸」について考え続けた一年でした。それらはカテゴリーの「オトシタカケラ」「幸福考」「土曜の午後」等々に表れていたと思います。


もともと僕は自分の問題が最優先で、他人の問題は所詮他人事、というスタンスの人間です。だから幸福や不幸について考え始めたのも、そもそもは自分のストレスや不安や心配事など、心の問題を処理するためでした。それでイロイロと考えたり読んだり考えたりしているうちに、自分の心の構造が非常にシンプルなものでしかないことに気が付いたのです。それまでは、自分の心は複雑に入り組んでいて、誰にも理解できる筈が無い、と思っていました。でも実は、たった2,3の言葉で、いとも簡単に表されてしまう程度のものだったのです。勝手に問題を複雑なように見せかけていたのは、僕自身の自尊心なのでした。「大きな問題を抱えて"見せたかった"」ってわけです。


考えることが楽しくなったのは、それからです。それは、不安やストレスやプレッシャーが自分の心に芽生え掛けて来たときに、自分で自分に語り掛けてリラックスさせるような言葉を見つけることだったからです。心の構造自体がシンプルなので、答えはいつも簡単に見つかりました。そういう言葉が次から次へと増えていくのが、楽しくて仕方なかったのです。


ところが・・・この、自分の問題を消化するための、自分に向けられた言葉が、どうやら少なくない人に対しても、それなりに力を発揮するらしいということに、一昨年初めて気が付きました。


まさか、と思いましたよ。僕は自身の能力や正当性を疑う者です。僕にとって正しいと思える事は、僕以外の人間には全くの間違いかも知れないし、或いは僕が考えるようなことなど、他の人はもうとっくに考えているだろう、というのが僕の基本的なスタンスです。そしてもし僕だけが他人と違うことを考えていた場合は、まず何よりも自分の方が誤っているのではないかと考えます。


だから他人の悩みは僕のものとは根本的に異なるか、或いは僕が悩んでいた程度のことなら他人は既に解決済みだろうという前提で、周りの人々から色々と不安や心配や悩みを聞いていってみたのです。しかしその前提は、覆さざるを得なくなりました。僕以外の人間の心も本当はシンプルなのに、皆、自分で「複雑な内面」を作っているだけでした。最初は、考え方を少し変えるだけで簡単に幸福になれるのに、と思いました。しかしどうやら現実には、「僕にとって簡単な視点の転換」は、他の人にとって「容易ではない」ことが多かったのです。単なる自惚れかも知れません。でも今は、それが「僕に出来ること」だと思っています。


彼氏を亡くし、母親まで亡くした「彼女」に昨年再会したとき、「彼女」が笑っているのを見て、僕は他人の笑っている姿が自分を幸福にしてくれることに気付きました。だから、少なくとも周囲の人間にはいつも笑っていて欲しいと願っています。とはいえそれでもかなりの人数なので、現実にはそんなことはあり得ません。でも僕には、友人の曇った顔を明るくするために出来ることがあります。


お金や食べ物がなくて困っている人、大切なものを失った人、そのような重大な不幸に見舞われている人に対して、僕は語るべき言葉を持ってはいません。でも、日常の中で心が作り出した苦悩――仕事や競争、人間関係の悩み――は、言葉ひとつで解消できてしまうことがあるのです。そのような言葉を探し出すこと、それが僕の得意分野です。


とはいえ、まだ明らかに力不足です。自分だけの言葉から、その人に合わせた言葉へと変換することが上手くできずに、結局伝わらなかったこともありました。そもそもまず、相手の心の扉を開く言葉が見つからないこともありました。そもそも、人間の心にはまだまだ僕の知らない側面が沢山あることでしょう。


だから、2006年の目標はこうします。
今までは自分に向けた言葉を探してきただけでした。でもこれからは「他人にとって力のある言葉」を探していきたいと思います。そのために考えます。果たしてそのような言葉を見つけられるかどうか、正直僕は疑っています。でもそれができるようになりたいのです。だから恐らく、これは今年だけでなく生涯の目標となるでしょう。


以上、終わり。