教える・手助けする、ということ


やってみせ
言ってきかせて
させてみて
ほめてやらねば
人は動かじ
山本五十六


ナンチテ。昨日の自分を全否定するよーなコトを書くよーな気がするのだが、ワタクシは「他人の代わりにやってあげる」ことをマッタクモッテ好まない。それが結局のところ、相手を「他人への依存状態へとスポイルしてしまう」ことになるからである。容姿端麗なカワイコちゃん(死語)にはマコトに多いのだが、彼女らに対してはオトコドモがこぞって奉仕してしまう。チヤホヤされている間はプライドも満足されて結構だろうが、最終的には目も当てられない「トンデモ役立たず」に出来上がってしまっているケースが散見される事実を否定される方はいないのではないかと思う。


何年か前のこと。この研究室にはオトコにモテモテの女の子が在籍していたのだが、彼女が少し複雑な実験操作をする際、必ずK先輩(♂)が出てきて彼女の代わりに全行程をやってしまうのだった。


K先輩「どや、オレのゴッドハンドは」
モテ子「わー、すごいです。私にはできないですそんなの」
K先輩「不器用やからなぁ、お前は」


その様子を横目で見ながら、マコトに不健全だと、ワタクシはココロから思っていたのである。あれではいつまで経ってもモテ子はその実験操作を自分で出来るようにならない。大先輩K氏はそーやってモテ子に恩を売ると同時に、彼女が自分に依存しなければならない状態を維持して、彼女を支配しようとする。不健全極まりない、とまあ、そー思っていたわけである。


そんなある日のこと、モテ子がワタクシに聞いてきた。
「ナイトーさん、DNAシーケンサーの使い方って分かります?」
「はあ〜? お前、今まで何回もあのマシン使ってるんちゃうんかいな」
「いつも私があれを使う時はK先輩がやってくれてるんですけど・・・今日は先輩いないですし」


(ワタクシがココロの底で「死ねっ!」と叫んだかどーかは、今でも誰にも知られてはならないヒミツなのだが、)ワタクシは「それくらい自分でデキるよーにならんとアカンでお前」と言いながら、マシンの操作方法をイチから全て「マズはこーしろ、次はあーしろ」と口で指示し、操作自体は飽くまでモテ子にやらせたのである。
もしも、である。もしも大先輩K氏がモテ子に最初からマシン操作を仕込んでいれば、今こーしてワタクシが実験中に煩わされることもなく、全てはムダなく効率的に運んでいたハズなのだ。


誰かに何かが出来ない・分からない、と言われたとき、ワタクシは問題を代わりに解いてやるとゆーよーなマネは絶対にしない。モチロンやり方は教えるし、手助けもする。だが、それは飽くまで「最終的に相手が自分で出来るようになって、ワタクシの助力など必要なくなる」ためのものである。大袈裟に言えば、教えること・手助けすることとゆーのは「自立できるように教える」「自立するのを助ける」ことである。後輩達が自分で全ての実験操作を出来るようになれば、研究室全体としてのパフォーマンスは大いに上がり、翌年の研究費も集まりやすくなる。


余談だが、後輩達の実験を代わりにやって「あげる」ことで自分のプレゼンスを保っていた大先輩K氏は、結局論文を一報も投稿することなく研究室を去った。彼および彼が指導した後輩達の実験は、よーするに、研究室にとっては研究費の無駄遣いに終わったワケである。ワタクシはそのよーな事態の発生を、許すことが出来ないのである。