「博士まで出といて月25万じゃ働けないよね!」

と言ったのは東大の博士課程にいる30くらいの知人だが、ワタクシはこの台詞にオモイキリ違和感を覚えたモノである。


「そんなに稼ぎたいなら博士なんかならんでええやん」


なんてツッコミがノドまで出掛かったくらいであった。アブナイアブナイ。彼は「科学技術の社会への還元」とゆーコンセプトにドップリと浸かっている人間で、知的財産とかナントカ、そーゆーカンケイにやたらと人脈を持っているのだが、研究開発者の特許とか起業とか、そーゆーハナシは好かんワタクシ。


ここ何年かで研究者の権利と利益の保護が叫ばれるようになってるワケだが、ワタクシはソンナコトをしたって科学の衰退はゼッタイに止められないだろーと思っている。答えはシンプルである。科学が社会に与えるインパクトは、科学技術が進めば進むほど、小さくなってしまうからである。


産業革命が起こって蒸気機関やエンジンが出来たとき、人々の生活は劇的に変わった。エジソンによる電球の発明は、それこそ街中に奇跡のよーな感動を与えただろう。100年前、いや50年前までの世界なら、「科学ってスゴイ」とゆーことを、実際の生活の変化から実感してもらうコトがカンタンに達成可能だったであろう。


しかし今の時代、科学の進歩がそーゆー全世界的な賞賛を浴びることはほぼあり得ないだろう。癌やエイズの特効薬を作っても、その適用範囲はその病を持つ患者さんだけである。ペニシリン抗生物質の発見がもたらした恩恵には全く及ばない。「癌の特効薬完成」とゆーニュースを見ても、ほとんどのヒトの反応は「へえ、すごいねー」で終わる。
そして当たり前だが、癌の特効薬を作るのはペニシリンを見つけるよりも遥かにタイヘンである。次の一歩は前の一歩よりもコストが掛かるのに、パフォーマンスは下がってしまうんである。経済原理からは遠のく一方である。


だからワタクシは、世界が自由経済に従うことを認めるならば、科学は時代とともに衰退していくのが必然だと考えている。科学など必要ないとは言わない。しかし時代が進めば進むほど、科学は儲からなくなっていく。


ワタクシですか?好きでやってんだからいいのである。大金を稼ぎたくてこの世界で生きているワケではナイのじゃ。金が欲しけりゃ、ヨソへ行きなよ。


因みに、先日の内田樹氏のブログにワタクシは全面的に賛成するモノであるので、直接関連があるわけじゃないけれど、ココでリンクを貼っとこう。

http://blog.tatsuru.com/archives/001500.php