どーしたって考えてしまうこと.

今日もモトカノのハナシはお休みです.あしからず.


一昨日のスリップでは無傷だったワケだが,状況によっては呆気なく死んでおったであろうワタクシ.「死」とゆーコトバがアタマに浮かぶとき,バカバカしいと分かっていながら,考えてしまうことがある.


「ワタクシが死んだら,ワタクシの周囲はどんな反応をするのだろう?」


ということだ.この研究室の誰がどんな反応をするか,アメリカのボスは?それより何より,共に多くの時間を過ごした友人達は?泣くのかなー.落ち込むのかなー.ワタクシが死んで喜ぶ人間もまあいるだろーしなーetc...


そこらへんを一巡してから,思いは事故で死んだ友人のことに来て止まる.あの出来事はワレワレの心に大きな影を落としたし,何よりもヒトリの人間の人生を狂わせ掛けた.だが三年もしないうちに彼の命日に,彼の生家を訪れる人はほとんどいなくなった.そしてほとんど全ての人間が,結局いつもどおりの生活を,いつもどおりに送っていた.


別にこれは彼に限ったハナシではない.どんなに重要とされる人物が死んだとて,世の中の流れなど変わりはしない.


そう,世の中には必要とされる人間はいないのである.必要な命など,存在しないのだ.