祖母・幸枝

まだ世の中が大正と呼ばれた時代に祖母は生まれたが,彼女が若かった頃の話をワタクシは殆ど知らない.鳥取に生まれ育ったはずの祖母と,滋賀の祖父とがどのような経緯で知り合って結ばれるに至ったのかも,ワタクシは聞いたことがない.ワタクシが知るのは,ただ,前妻を亡くして既に子もある祖父のところに祖母は後妻として嫁ぎ,そして彼女が生まれ育った家からは勘当されたということだけだ.


当時の内藤家はビンボーだったハズだし,そんなトコロへどーしてわざわざ,家を勘当されてまで祖母はやって来たのだろうか.ワタクシは生前の祖父を全く知らないが,それほど魅力ある人物だったのだろうか.・・・今となっては,知る由もない.


祖母は祖父との間に子供を四人もうけたが,うち二人は大人になることなく死んだ.特に一番下の息子は生まれてすぐに天に召されたそうだ.上の息子――つまりワタクシの父――は,三歳のときに木から落ち,その傷がもとでカリエスを患った.父はこのせいで幼・少年期のほとんどを病院で過ごさなくてはならなくなった.息子の見舞いには20キロ以上離れた病院へ,歩いて行かなければならなかった.


更に祖父が盲腸を悪化させて腹膜炎を発症した.よーするに男手は二人とも病に倒れ,祖母・前妻の娘,上の娘の女手三人で内職をしてやっと食っていく生活だ.それでも,ズバ抜けて優秀な頭脳を持つ息子・勝之が希望の光だった.カリエスを克服した息子は圧倒的な成績で京大に合格し,卒業した.更に息子はその後アメリカへ留学して博士号を取得.彼女の苦労は報われたかに見えた――のだが.


アメリカから帰国して三年,出世街道をまっしぐらに走っていた息子が,白血病に倒れた.息子は,再び入院生活を余儀なくされた.息子の闘病生活は13年続いた.しかし結局,最愛の息子は,48の若さでこの世を去った.


・・・祖母の人生を思うとき,ワタクシはいつも憂鬱になる.それは彼女がワタクシの目に,何かを象徴しているように映るからだ.


「人生とは,失い続けるということだ――」と.


晩年の祖母は歩く力を失い,最後には記憶も失っていった.会うたびに表情から苦悩の色が消えていく祖母を見て,これでいいような,これじゃ寂しいような,そんな微妙な感情が起こった.


失い続ける人生――


でも,それもやっと終わる.
良かったね,おばあちゃん.
最愛の息子が,あなたを待ってる.
それから,憶えてるかな,リキのこと?
ウチで飼ってた犬だけどさ,アイツのアタマも撫でてやってよ.
きっと,喜ぶから――




やべ,泣けてきた.