その56〜愛情について〜

毎度おなじみ,ラッセルさんです.

人は、さまざまな理由で、自分は愛されていないという感情を持つ。自分誰もがどうしても愛せないような嫌な人間である、と考えるかもしれない。
・・・自分は愛されていないと感じる人は、愛情を得るために、並みはずれた親切な行為を行うという絶望的な努力をするかもしれない。しかし、それは大抵失敗に終わる。なぜなら親切な行為の動機は、その相手に簡単に感じ取られてしまうからである。人間というものは,「他人からの愛情を要求しないような人間」にこそ,却って愛情を与えたくなってしまう、というようにできているからである。
それゆえ、親切行為によって愛情を獲得しようと努力する人は、人間の'忘恩'を経験して、幻滅することになる。彼が獲得しようとしている愛情は、その代価として差し出す親切行為よりもはるかに価値があるものだということが、彼には決して思い浮かばない。そのくせ彼の無意識においては,他人からの愛情こそが最も大切なものなのである。
・・・大多数の人びとは、自分が愛されていないと感じると、'臆病な絶望'の中に沈みこみ、時々、'ねたみ'や'悪意'をほんの少し示すことによってのみ慰められる。そのような人びとの生活は極度に自己中心的になる。愛情の欠如は彼らに不安を与え、その不安から逃れようとするために、生活が徹底的かつ完全に習慣に支配されるのを許してしまう。なぜなら、われとわが身を変化のない日常の奴隷にする人たちは、冷たい外界に対する恐怖及と、いつもと同じ道を歩いてさえいれば冷たい外界と衝突することはないだろうという感情に駆られて行動するからである。


で,喩えば上記のハナシを恋愛に当てはめて考えるとどーなのかと.むかーしのハナシだが,「寂しさと恋愛」というテーマで,この日記上で四日に渡って考え続けていたコトがある(id:KEN_NAITO:20040903〜id:KEN_NAITO:20040906・・・って,もう1年半以上も前ですか��( ̄□ ̄;)!!).このときはコメント欄も大いに繁盛したものだったが,その中でよく言われたのが「好きなヒトに振り向いてもらえないのはやっぱりイチバン辛い」というよーなことだった.当時のワタクシは「さもありなん」と思っていたのだが,ソイツぁチョット違うんでないかい?と最近では思うよーになったので,その辺をツラツラと書いてみよっかな.