傷ついた人.

ナゼだか知らないし,別にワタクシだけが特別にそーゆーワケでもナイのだろーが,深刻な相談を受けることが多いように思う.そして相手の話を聞いてるウチに,その人を不幸にしている「捉われ」の構造がよく分かってくることも少なくない.だがモンダイは,そのような捉われを外すコトができるのはその人自身であり,ワタクシが外してあげることはできないということである.ワタクシはただ相手の話を聞き,ヒトが陥りがちな心理パターンについて話すだけだ.そのようなやり方の中で本人が自分の中の「捉われ」を自覚してラクになってもらえることもあるけれど,捉われを外すどころか最終的に敵意さえ持たれてしまうこともある.自分の特殊な傷や体験を,そんな一般化した言葉で語れるわけがない,と.本当はそれ自体がすでに「自分は特別」という捉われなのだけれど,どうやってそれを伝えればいいのだろう.結局ワタクシは黙って相手の訣別の言葉を受け,無力感だけが残ることになる.


幼少期や思春期に,いじめや性的な問題などで大きな傷を受けてしまったヒトは,他人が自分に対して持つイメージに異常に拘るようになってしまうことがある.ヒトが少しでも自分について批判めいたコトをクチにすれば,自分はそのヒトに嫌われているのだと思ってキョクタンにうろたえてしまう.ひどい場合には,周囲の人間の話していること全てが,自分のことについてのものだと感じてしまう.
また,そのような人たちは自分という人間が本質的に他人に好かれるハズがないと思っていて,だから「カンペキな人間」になろうとする.カンペキな人間とは,つまりダレからも好かれるような人間ということだ.彼らはヒトの心を読もうとし,ヒトが望むとおりの行動を取ろうとする.そして他人に気を遣い続けるが,そもそも人間には相手のココロなど読めないコトの方が圧倒的に多いので,相手は自分の気遣いに気付かず,自分のココロは抑え付け続けるために極度の欲求不満となり,爆発して相手との関係は壊れてしまう.
そして関係が壊れたのは結局自分の至らなさゆえだと思い,ますます他人に注意を払おうとし,ますます自分を抑え付けようとする.そして爆発して・・・その,繰り返しだ.


そんな女性が今までに二人いて,二人とも助けになれなかった.ヒトリは,相手の誘惑にワタクシが乗ってしまったがゆえに.もうヒトリは,求愛に応じなかったがゆえに.


カエサルは言ったっけ.

世に悪い結果をもたらした行動の動機は,そのほとんどが良心から出たものであった


って言ったら,まるで自分が良心的な人間ですって言おうとしてるみたいに見えちゃうけど,そーじゃなくてさ,何とかしたかったんだけど,結局彼女らにとっては害にしかならなかったとゆー事実を,噛み締めているのです.