その66 ロマンチックはリスキー

だんだんタイトルが短くなっていることはさておき.


昨日書いたように,周囲の人間に良く思われたいとか,悪く思われたくないというような我欲をコントロールできるようになったとき,あなたは誰に対しても自然に振舞うことができるだろう.自然に振舞うということは,「他人に見られたい自分」を演出しないということであり,周囲の人間に見せている自分がそのまま自分である.だから誰と話していても容易に自画像を描くことができる.「本当の自分」を受け入れてくれる特別な人間など,もはや必要なくなるわけだ.


恋人に対してだけ自分がワガママになる,という人は,普段は自分の抑えて他人に気を遣うことをモットーにしているのかも知れない.でも,その人がもし周囲の人間に対して少しくらい自分の要求をアピールできるようになったなら,「ワガママの受け皿」としての恋人の役割は大幅に減少するだろう.そうなれば,どちらかの要求だけを一方的に満たす代わりに「二人が楽しめること」をする,そんな余力も生まれてくるはずだ.


id:KEN_NAITO:20060731で述べた「力を抜いた恋愛」というのは,そういうことである.恋愛関係を「精一杯のことをしてあげる」とか「自分の全てを掛ける」とか,そういう極端な言葉を使って表現することは確かにロマンチックであり,最初のうちは酔い痴れることができるだろう.だが,「全てを云々」状態は,何か少しでも欠けてしまったら終わりである.だから,恋愛にそれほど多くを求めずに済むことは,幸福な人生を歩む上で大変に重要な要素であると思う.


だが恋愛に求めるものを減らすには,日常生活における欲求不満を減らさなければならない.恋愛においてだけ,力を抜こうとしても欲求不満でがんじがらめになるだけであろう.まずは,普段の生活における人間関係をリラックスしたものに変えていくことが大切なのだ.そのためには,普段から自然に振舞うこと.それは自分の「弱さ」「汚さ」を,不特定多数の人間に対して曝すことから始まる.
そんな恐ろしいことはできない,とあなたは言うかもしれない.だがあなたが恐れるような拒絶反応を示す人は,ほとんどいないだろう.その理由は簡単だ.仮にあなたの周囲にいる誰かが自分の「弱さ」や「汚さ」を告白したとして,そのときに,あなたはどう対応するだろうか?多分,あなたは彼を励ますだろう.だがあなたが彼を励ますのは,あなたが他人に比べて特別に寛大で思いやりに溢れている人間だからだろうか?もしあなたが自分を特別に寛大だとも優しさがあるとも思っていないならば,あなたに出来ることは,他の多くの人にも出来るだろう.自分に出来ることくらいは,他人にも期待する.それが,自然に振舞うコツである.


自分には何かが欠けていて,恋人にその穴を埋めもらうことを期待する恋愛を,ワタクシは子供の恋愛と呼びたい.普段の生活で十分に満たされていて,更にそれ以上の何かを得るために恋人と付き合うことが,大人の恋愛じゃないかと思う.


え?それじゃ大人の恋愛にはロマンスなんかないのかって?


もしも朝日とか夕日とか夜景とか天の川が見えるほどの満点の星空とかを恋人と一緒に眺めたことのある人ならば,そんな疑問は出てこない筈だ.恋愛は美しいものの価値を更に高めてくれる.楽しいことを更に楽しませてくれる.それだけも十分にロマンチックってものだろう.