Re:Re:子離れできない親

昨日のエントリーをお馴染みのain_edが拾ってくれた(キュア)ので,もう少し掘り下げてみる.


「子供は,親の自尊心を満たすための道具ではない――」


という文章に反対する人はまずいない.しかし,恐ろしいことだが,子離れできない親は当に子供を「自らの自尊心を満たす道具」にしてしまうのである.子離れの出来ない親は,子供を誉めない.というよりは,子供の長所に関して完全に盲目となる.逆に子供の失点は徹底的に追及し,如何に子供が半人前であるかを分からせようとする.そして子供のそういう欠点を熟知しているという(幻想の)立場を利用して,押し付ける.


「お前は自分ひとりでは何をやっても駄目なんだから,私の言うとおりにすればいいのよ」と.


そうやって子供を「いつまでも親の世話になりっぱなしの不肖者」という立場に追い込んでしまうのである.子供が反抗しても,「未だに親の世話になってるクセに,何を生意気なことを!」と言うだけで社会的正当性は確保できる.その言葉の前では,どんな論理的な反論も無効となってしまう.親は社会的・経済的な「強者」の立場から,子供の言い分を全否定する.そのことによって,信じ難いことに思われるかもしれないが,親は子に対する優越感・正当性を感じ,つまりは自尊心を満足させているのである.そのような状況において,最終的には子供の自立心は完全に挫かれる.それどころか,「親の世話になってるにもかかわらず,親に不満を感じる私は悪い子だ」という強烈な劣等感を植え付けられてしまう.昨日書いた「人生が潰れる」というのは,そのことなのだ.


そしてこのような関係にある親子は,恐ろしいことにそれを「愛情」と呼ぶ.親は親で「子供が不幸になるのを防ぐために,干渉して道を正してやる」ことを愛情だと信じているし,子は子で「育ててもらった恩返しに,親の要求に出来るだけ応えようとすること」が愛情だと思っている.
何ということだろうか.子は「親の要求に応えることが愛」だと信じて育ってしまったために,自分が親になった時には「自分の要求に従わない子供は愛のない子供」だと考えてしまうということになるのである.そして,自分の人生が親に食いつ潰されたのと同じ様に,子供の人生を食い潰してしまうのである.――それと気付かぬままに・・・


何だか,ニーチェ永劫回帰みたいで憂鬱である.


本当の愛情というのは,「最終的に相手が自分を必要としなくなる」方向へ相手を導くという,最終的に強度の「自己否定」を伴うものだ.したがって,親の子に対する愛は,出来るだけ早く子供が自立して,親なしでも生きていける方向へと子供を導くことでなければならない.当たり前である.人は誰かを助けるとき,その相手が困っている問題点を解決するために助けるのだ.問題点が解決されれば,自分はもう必要なくなる.というか,いつまでも必要とされ続けては困る,というのが本来妥当なところなのだ.
ところが,「自尊心」が絡んでくると問題が複雑になってしまう.自尊心が深く傷ついた人間は,その自尊心を満たすために,対象となる相手がいつまでも苦悩してくれることを望んでしまうのだ.


傷ついた自尊心を治療するには.本人がまず,自らの自尊心が歪んでいることに気付くことからしか始まらない.本人が持っている「強い一つの自己」という幻想を破壊し,「弱く,脆く,輪郭がぼやけた複数の自己」を引っ張り出してくるしかないのだ.