読破

フラジャイル 弱さからの出発 (ちくま学芸文庫)

フラジャイル 弱さからの出発 (ちくま学芸文庫)


著者は語る.

なぜ,弱さは強さよりも深いのか?なぜ,われわれは脆くはかないものにこそ惹かれるのか?「弱さ」は「強さ」の欠如ではない.「弱さ」というそれ自体の特徴をもった劇的でピアニッシモな現象なのである.部分でしかなく,引きちぎられた断片でしかないようなのに,ときに全体をおびやかし,総体に抵抗する透明な微細力をもっているのである.


人は強さに憧れる.強い国家,強い精神,強い絆――.だが,強さを求めることは,何かを確実に隠蔽してしまう.若い頃にこんな経験をした人はいないだろうか.ちょっと話しかけた相手が返事をしてくれなかっただけで,嫌われているかも知れないと感じ,全く落ち着きがなくなってしまうような.そう,僕らの「自分」なんて,そんなちょっとしたことで簡単に揺らいでしまうものなのだ.そんな自分の弱さを遠ざけようと,人は強さを求め,弱さを隠す.
でも,それでいいのだろうか.弱さや脆さを真剣に見つめることこそ,本当に大切なことなのではないだろうか.


以下,自分の専門の話で恐縮だが.


生命は柔らかく,弱く,脆い.核酸やタンパク質の分子間のつながりは不安定で,ちょっとした熱や衝撃で簡単に切れてしまう.僕らの体を構成しているあらゆる生体高分子は「弱い構造」なのである.だが,弱いからこそ,それらの生体高分子の間では「繋ぎ換え」が可能となり,新たな形質や能力や言葉や芸術が生まれ得ることになるのだ.もしもDNAのつながりが鉄や石のように強固で安定したものだったとしたら,生物の進化などあり得なかった.生命の誕生以来,地球環境は激しく変動してきたが,その激動の中を生き延びるということもなかっただろう.そして生物の細胞や組織や器官など,ほんの小さな部分的な変化が,からだ全体の大きな変化を起こしたり,DNAのちょっとした変化が,個体はおろか「種」の運命さえ変えてしまうようなことだってあるのだ.


弱さは,ある意味では強さだ,などというありふれた言葉ではこの本の魅力を説明することは出来ない.弱さには,深さ,そして豊かさがあるのだ.


この本を読んでる最中に自分でも驚くほど想像を刺激されて夜眠れなくなってしまったという体験があったのだが,それについては日を改めて書いてみたい.