読破

ハイデガー 存在の謎について考える (シリーズ・哲学のエッセンス)

ハイデガー 存在の謎について考える (シリーズ・哲学のエッセンス)

二十世紀の巨人,マルティン・ハイデガー.「存在」ということを考え続けた凄い人である.
「ある」とはどういうことか.僕の目の前には,パソコンがある.しかし,「ある」とは一体どういうことなのかを考えようとすると,たちまち立ちすくんでしまう.そもそもどうアプローチしていいのかさえ分からない.しかし僕らは「ある」という言葉を正しく使うことができる.あるいは「火事だ!」と叫ぶとき,それはまさしく「火事がある」ということを意味するが,同時に自分以外の人間へ避難しろと伝えることが意図されている.つまり,呼びかける対象となる人々が既に「存在している」ことが前提されており,火事によってその存在が灰となって消えてしまわないための呼びかけであるわけで,ということは,僕らは「ある」ということの意味を最初から分かっているらしい.しかし,相変わらず僕らは「ある」という言葉の意味を,上手く説明することはできないままである.ましてや「自分という存在」なんて,益々厄介な問題である.

ここで,「ある」ということには二重の意味がある.単に「ある」という言葉の意味と,「存在意義」とでもいうべき意味,つまりは「自分の存在の意味」である.だが言葉にせよ「生きる意味」にせよ,「意味」というのは「根源的に体験的なもの」であることは共通している.言葉の意味が分かるということは,それを使ってコミュニケーションができるとか,もっと広く言えばその言葉を使って生活できるということだし,存在の意味にしたって「ああ,そういうことだったのか」と納得して,その体験をもとに生きていけるということだからだ.


いや,しかし,さすが,二十世紀のあらうる哲学に絶大な影響を与えた哲学者である.他にも興味深い考察多数,というか上記は本当に本書の冒頭部分を更にまとめたものに過ぎないので,是非読まれたし.