火曜日

早起きして,岐阜に行ってきた.メチャクチャ旨いけどサイズもハンパなくデカいヒツマブシ(お父さん茶碗にタップリ4杯分)を食い,腹ごなしに関ヶ原を歩いた.名前からして戦場になるほど広い原野を想像する方も多いだろうが,現在関ヶ原一帯は「関ヶ原町」という「町」であり,戦の様子を想像するのは少々難しい.でもあそこに石田光成がいて,ここに徳川家康がいて,ぉおっと小早川ってあんなところにいたのかー,島津は最後にここから東軍の真ん中へ突撃したのか,とかは考えられる.最後の決戦地となったところは比較的開けてた緩斜面になってて(田んぼだけど),そこに立ちながら何万という大軍が下から総攻撃のために迫ってくる様子を想像すると身震いがした.僕だったら一目散に逃げて,多分味方の指揮官に切り捨てられるか,鉄砲隊に狙い撃ちされて一貫の終わりだろうなと思った.そんな僕は,家康の側近の一人だった内藤清成の子孫なわけですが(多分).