大人になるということ

当たり前だが,大人になるということは,自分の欲求を自分で満たす力を持てるようになるということだ.子供のうちは親に玩具を取り上げられたら泣くしかないが,大人になるにしたがって欲しいものは自分で買うことができるようになるし,よりレベルの高い楽しみに挑戦することができる.当然,子供時代には憧れだったような対象でも,大人になれば詰まらなくなる.シューマッハアロンソがゴーカートのレースで優勝しても嬉しくないだろうし,イチローがいくら日本の首位打者になっても満足できない,というのと同じことだ.


さて,自分の職場において,仕事の内容や周囲の仕事に対する意気込みなどで不満を抱く人がいる.あるいは,旧態依然とした社風でもよい.彼は職場の雰囲気を変えたいと思うが,彼の「変わるべきだ」という意見には誰も耳を傾けない.それで彼は愚痴る.「あいつらはおかしい」「こうした方が絶対良いに決まっている」etc...ニーチェがいうところのルサンチマン,邦訳で怨恨というやつだ.


ルサンチマンに陥る人は,他人より能力はあるが,そのせいで自信過剰な人である.欠けているのは,現状を正確に認識する能力と,自己批判力だ.正しく現状を認識できる人は,現在の自分の職場がなぜそのようになっているかという「歴史」を捉えようとするだろうし,自己批判力が十分にある人ならば,現時点での自分が他人に与えられる影響の大きさなんて高が知れていることを理解するだろう.


歴史を知れば,現行システムの意味も見えてくる.しかし時代の流れやら何やらで,現状維持ではマイナスの方が目立ってしまうからやはり変えなければならないと思うなら,大人にならなければならない.「変わるべきなのに,どうして今すぐ変わろうとしないんだ」というのは子供の思考だからだ.


大人ならば,「時間」というものを考慮に入れた目標設定ができなければならない.下っ端の若者が言う事に真剣に耳を傾ける人間なんて,普通はいない.だが,上の人間は時間が経てば自分より先に消えていくのである.現状に固執する権力者が消える時を待つ,というのがまず何よりも必要なことだ.それに,ただ待ってればいいというものではない.上が消えたときに,自分以外の人間に力を握られてしまっては何にもならない.周囲を納得させるだけの人間に成長していなければならないし,毎年自分の下に入ってくる人間に自分の意見を浸透させ,従ってくれる人間を増やしておかなければならない.そして3年,5年,あるいは10年と時間を掛けて初めて,目標は達成されるのである.


「理性的に考えれば・・・」と,ルサンチマンな人は言う.しかし人が理性と情動の両方を持つ生き物であることを忘れたそのような考え方自体が,既に理性的ではないのである.

理性は,情熱の奴隷であり,またそこに留まるべきである.

――デイビッド=ヒューム


理性の力は,何かやりたいことを達成するために使うものだという意味だ.