問1「これでいいのか」

一昨日の記事「許せないこと」を,別角度から考えてみる.
まず何より明白な事実は,後輩自身は僕が書いたことを意識的に自覚しているわけではなく,だから僕に不利益なことを強制しようなんて意図は微塵もないつもりだったということだ.僕が書いたのは「みんな」という言葉が規定してしまう無意識のレベルの話で,本人が無自覚のうちに「そうなってしまう」ということなのだ.本当はその場でそういうことを冷静に説明したいところなのだが,感情の方が僕の制御を完全に越えてしまっていて,口を開けば罵倒以外に何も出てこないだろう状態になってしまったので,口を閉ざして立ち去る以外に出来ることがなかった.
もう一つ明らかなのは,あのときその場にいた人間から僕を見れば,「周囲の事情を鑑みない自分勝手な奴」にしか見えなかっただろうということだ.冷蔵庫から食材を移動しないいつもりは微塵もなかった以上,そのように思われることは不本意としか言いようがない.しかし,あの時の自分の行動をどのように振り返ってみても,「内藤さんが怒るのも当然だ」とは誰一人考えなかっただろう.僕の怒りは確かに常軌を逸していたのだから.

正直に言うと僕自身,こんなところにあんな大きな地雷があったことを,金曜に初めて知って戸惑わざるを得なかった.何か過去の出来事が関係してるんじゃないかと思って自分の記憶を探ってみて,ひとつ思い当たった.再婚しようとする母に対して,それに反対する父の遺族が飽くまで母を内藤家に押し込めようとして,結局家族の間に憎しみが残ってしまったあの日の出来事が,未だに傷として残っているらしいのだ.自分ではもうすっかり気にならなくなっていたつもりだったが,傷というのはそう簡単に消えくれないから傷なのだ.

しかしだからと言って,そう簡単に自分のことを社会的に正当化できるというわけでは全くない.一昨日の日記はそれなりに説得力を持つと思うし,自分が多数派に立っているときの行動指針としては何よりも重要なことだと思う,しかし,無自覚に多数派の権力を濫用してしまう人間は世の中にいくらでもいるわけで,そのような人間に出会う度に逆上していたのでは,それこそ集団内での人間関係に支障を来してしまうだろう.自分の中にあるこの地雷は,だから放置するにはリスクが大きすぎるのだ.したがって「これでいいのか」という問いに対する答えは,否となる.これでは良くないのだ.弱者にある人間が弱者なりに自分の立場を確保しようとするなら,それこそ上手く立ち回るということが必要だ.金曜の僕にはそれが出来なかった.責めて,怒りのレベルを「ムッとする」くらいまで下げなければ始まらないのだ.
そのためにはまず「言葉を使う本人は,その言葉の持つ権力構造を自覚することができない」という事実を,徹底的に,僕の中の無意識レベルにまで根付かせることが必要だ.