Re:ぽりてぃくす

id:ain_ed:20070223にて,そう言えばその通りだという指摘を受けたので,それに触れてみたい.

また日記の内容から感じたことは、外(米国)にいた時は具体的な個人やコミュニティに追求する日記が多かったのに対し、日本に帰って来てからの日記は、自分の研究周辺に関して現在の研究室を取り上げはするものの、外にいた時の様な対人的な内容にはあまり触れられていない。


アメリカにいた頃の日記は,週末と言えばパーティだった気がする.研究室におけるボスとのやり取りだけで英語はうんざりになってしまい,休みの日くらい日本語でという感じで,現地の仲間といえば日本人ばかりだったのだが,それでも米国滞在時の遊び仲間と,日本に戻ってからの遊び仲間とでは,会話の内容一つとってもまるで違う.結局みんなそれなりにやりたい事があって(というかそうだからこそ)日本を出てきたせいか,深刻な悩みを抱えている人間はほぼ皆無で,楽しく笑ってるだけで時間が過ぎた.ところが日本に戻ってみると,誰も彼もが影を持っている.一体僕は日本に戻ってから,何人の人間から幾つの深刻な話を聞かされただろうか.いや,それが嫌いだというわけではない.負の部分を隠さずに話してもらえることは信用されている証拠だし,僕にとっては深刻な問題への対応は寧ろ得意分野だとさえ言えるので,負担どころか却って積極的に取り組んでしまうくらいだ.ただ,内面的な話をするとき,アメリカでは明るい話ばかりだったのが,逆に日本では暗い話ばかりになってしまったということなのだ.明るい話は日記には書きやすいが,暗い話は書きにくい(それでも重要だと思ったことは書くのだが).アメリカにいた頃から関係が続いている友人の多くも,帰国してから話してみると暗い話題が出てくるケースが少なくない.この違いは,一体何を象徴しているのだろうか.


これはアメリカと日本の違い,という事ではないと思う.多分,攻めようとしている人間と,守ろうとしている人間との違い,というのがいちばん近い.それにしても,リスクを負って日本を出て母国語以外の環境で暮らす,という敢えて厳しい環境にいる人間の方が心に余裕があって,生まれ育った国でぬくぬくと生きているはずの人間の心に余裕がないとは,何とも皮肉なことである.