型に嵌った気遣いと,個別対応の思いやり

共同体の不特定多数に不快な思いをさせるよりは,身近な人間に迷惑を掛けた方がマシだという行動は,やはり考えれば考えるほど奇妙に思えてくる.功利主義的に考えるなら,自分と関係の薄い人間には,自分のことをどれほど悪く思われようが,自分の人生には殆ど影響がないはずなのだ.逆に,近しい人間からの尊敬や信頼を失うことはあからさまに一つの不幸を意味する.

にも関わらず,どうしてある種の人々は,初対面の相手に対して非常に気を遣い,それからは親しくなるにつれて冷淡になってしまうのだろうか.

理由は多分,気遣いというものが基本的には本人にとって「負担」であることだろう.相手の迷惑にならないように,自分の欲求が表に出ないようにと立ち回るのは,いくらマニュアルに従っているだけだといってもかなりのエネルギーを使う.逆に,親しい相手には自分の欲求を出してもいいはずだし,家族や友人に対して遠慮などしていたら却って奇妙であることには違いない.しかしだからと言って,親しい人間に対してエネルギーを使わなくて良いということにはならない.それは単純に,不特定多数に対しては通用していたマニュアルが,身近な人間関係に対しては通用しなくなるということであるに過ぎないのだ.

したがって,大切な人間に対しては,相手の心や性格や事情に合わせて個別対応といったことが必要になってくる.そのためには相手を理解するということが大前提なのだが,それについてはまた日を改めて書くことにして,今回は一つの事例を紹介して終わりにする.


いつだったか,学部生時代に友人の誕生日を祝ったときのことだ.偶然誕生日が同じ人間が二人いたので,二人まとめてとあるCAFEでバースデイパーティを開いた.パーティもお開きとなって会計のとき,僕ら祝う側は誕生日の二人は払わなくてよいと言ったのだが,二人のうち片方が「いや,それは悪いから俺も払う」と言い出して聞かなかったことがあって,僕はキレてしまったのだった.


「アホ!お前が払ったらコイツも払うしかなくなるやろが!お前は俺らに遠慮してるつもりやろーが,そのせいでコイツの『皆から誕生日にご馳走してもらった』っていう思い出がなくなるんやぞ,それくらい考えろや!!」


彼自身は,利他的な態度を取ったつもりだったろう.だが,彼はもう1人の主賓については全く考えていなかったのである.その結果として,もう1人を差し置いて自分だけが「いい子」になろうとしているという,酷く利己的な構図が出来上がってしまうのである.