これが病気だってんなら僕も病気だ.

via id:ain_ed:20070323

中学2年の女子です。私の学校には,肩についた髪の毛はしばるという校則があります。私は,肩より少し長い位の微妙な長さなので,しばったりしばらなかったりですが,この前先生に,「だいぶ伸びてきたからちゃんとしばりなさい」といわれました。

だけど,せっかく朝アイロンをしてきたのに,髪の毛をしばるとあとが付きます。

それに,うちの学校の女の先生は,みんな髪が長くてもしばっていません。

そのことをお母さんに話したら,「先生と生徒は違うでしょ」といわれましたが,先生は生徒の手本なのに,自分達は校則を守らないのに生徒に守れと言うのはおかしいと思います。

先生や親は,何かと「先生と生徒は違う」といいますが,確かに違うこともあると思うけど,髪型のことや,職員室にだけコーヒーとかエアコンがあるのが,納得いきません。

みなさんはどう思いますか。

上記のような書き込みに対する大方の反応に唖然.大多数が「ルールだから」「立場の違い」「生徒は義務、教師は仕事」「中2病」とか,「それくらいのルールが守れずに社会に出てどうするんだ?」とか.


確かに教育には,子供が社会生活に適応できるよう訓練するという目的がある.ぬくぬくとした環境でワガママ放題,ガマンの一つもしたことがないままに大人になってしまったら,それこそ一歩社会に出た途端に集団から総スカンを食らうだろう.だがしかし,「大人になったら分かる」と言う大人は,本当に分かっているならどうして子供に分かりやすく説明しないのだろうか.「ルールに従うことは大切でも,ルールそのものが間違っている場合にはそれを拒否する」ということも,自立した大人にとって大切なことだ.社会の規則に何一つ疑問を抱きもせず,ただ従っているだけの大人を,誰が一人前と認めてくれるだろう.教育と言うなら,そこを見過ごすわけにはいかない筈だ.


「社会は不条理なんだよ」とかいう意見も,弱者の側から言われる場合は(決して尊敬できないが)単なる諦めだが,強者がそれを言えば,それは強者が弱者に不条理を押し付ける「暴力」となる.そしてその暴力を受け入れてしまった子供は,自分が大人になったときには子供に不条理を押し付ける.何故なら彼らが学んだとおり,「世界は不条理」なのだから.
だが,本当にそれで良いのだろうか.確かに,不条理の全く存在しない世界というのはあり得ないだろう.だがしかし,今ある不条理な現実が改善された世界を考え,それを実現していくことは大切なことではないのだろうか.そうでないなら,専制君主制から民主制へと移行した歴史の事実は,何を意味しているのだろうか.
「世の中は不条理」だという考え方は,今ある現実の世界を唯一の世界として固定してしまう.それは,今ある世界とは違った「可能な世界」に対する想像力を失うということだ.自分に見えている世界が,他人に見えている世界とは異なるという可能性に対して,盲目となってしまうということなのだ.


子供には,大人とは違った世界が見えている.大人になってから引かれてしまった「大人と子供との境界線」は,子供には見えない.その子供に対して「大人と子供は違う」などという言い方をしても,通用するわけがないのだ.「子供は黙って大人に従う」という世界を解体し,「子供が納得してルールに従う世界」という一つの可能な世界を,想像してみることはできないだろうか.それが大人の,子供に対する思いやりというものだろう.そして,それこそが最大の教育なのではないか.


大人は,自分が子供だったときのことをすぐに忘れてしまう.もしそれを忘れることなく大人になることが出来れば,ルールの効能くらい幾らでも説明ができるはずだ.逆に言えば,自分のことを棚にあげた説明ほど,説得力に欠けるものはないということだ.