読破

凄い.道元は常に悟りについて文字で語っているのだが,語られた言葉はすぐに硬直化してしまう.悟りは一定不変のものではないにも関わらず,読み手はその言葉の向こうに悟りの本質を想定してしまうからだ.だから道元は,一旦語られた言葉を直後に一旦解体してバラバラにし,先の言葉を別の文脈の中で配置し直すことで,敢えて意味にズレが生じるようにしている.その言葉は確かにある時,ある場所,ある状況における悟りを表していながら,悟りはその言葉通りのものではないと言っているのだ.


一般に「悟り」というと静的なイメージがあると思うが,道元は違う.動的なのだ.道元は修行をし続けることこそが悟りだと言った.ちょうど,水が流れ続けていなければ渦が出来ないのと同じように.


しかしそれにしても,一旦解釈したテクストを解体し,それを別の文脈から再び解釈し直して別の意味を読み取る・・・ってデリダの「脱ー構築」じゃない?読み取られた意味はすぐに固定化を起こしてしまうので,新しい解釈は再び解体され,読み直されなければならない.デリダは,そう言ったのだった.