その80〜縛られるな,学べ〜

 進化系統樹は,確かに分かり易い.ヒトはサルやネズミとは近縁であり,タコや昆虫やヒトデの仲間と分化したのは遥か太古の昔である.科学的な思考は強力でシンプルで分かり易いが,しかし,ドゥルーズは言う.

そのような考え方をすると,人間は人間でしかなくなってしまう


 人は自分を語るとき,人生に起こった大きな出来事を挙げて物語を作る.幾つかの決定的な出来事を経験したがゆえに,今の自分があると言う.嘘ではあるまい.だが,それだけでいいのか.


 子供は遊びの中で,ヒーローにでも怪獣でもなれる.子供時代の記憶が確かならば,僕が遊んでいたとき,こんな時ヒーローならばどうするとか,悪役ならこうするだろうとか,そんなことは全く考えもせず,ただ夢中でヒーローや怪獣に「なって」いた.野球をすれば僕はバースや掛布や岡田や仲田や仲込(時代が…)だったし,走ればカール・ルイスだった.それがいつの間にか,色々経験を重ねていくうちに,内藤健は内藤健となり,ただの内藤健でしかなくなってしまう.


 自分の性向や性格を「説明できる」ことは大切であるとは思う.しかし,例えば人間関係のトラブルの原因に自分の性格や価値観等があった場合に,自分の過去の出来事を挙げて「でもこれが自分だから」と説明して納得してしまうのは,いいことなのだろうか.「今までそうやって生きてきた『自分』」を守って,それで,どうなるというのだろうか?


 過去から何も学ばず,同じ失敗を繰り返す人間はただの馬鹿であろう.しかし過去の出来事によって「分かりやすく説明できる自分」に固執して,他の選択肢を選べなくなってしまったり,更には他の選択肢が見えなくなってしまうという状態にさえ陥ってしまうのは,哀しく,悲しい.


 あのとき君に起こった出来事は,確かに悲惨だった.あの出来事が君の一生に大きな影を落とし続けたとしても,仕方がないとは思う.でも,やっぱり僕は,君に「そうじゃない自分」を,探して欲しいのだ.


 過去から学ぶのは,可能性を限定するためではない.新しい可能性を探し,陳腐な言い方だが,より大きな幸せを手にするためなのだ.