つくばへごー 9

「ん・・・あるよ」

言いながら思う.闇は自己の輪郭を曖昧にする.外が内に入り込み,内が外にはみ出す.内面を語りやすくなるのは多分そのことと無関係ではないだろう.

「聞いてもいいですか?」

後輩に促され,僕は話を始めた.

15で父を亡くして以来,自分の拠り所だと思っていた家族が,2年間の茨城生活の間に壊れてしまっていたこと.母は再婚を望み,しかし要介護の祖母を巡って父方の伯母と対立し,結局祖母を伯母に押し付けて家を出て行ったこと.同時に実家で13年飼っていた愛犬もは死に,女にも捨てられ,茨城から大手を振って戻ってくるはずが,誰もいないところにポツリと残されてしまった感覚に襲われたこと.父亡き後,母や伯母や祖母の期待を一身に背負って研究に打ち込んできたはずが,何のために生きているのかさえ分からなくなってしまい,実験も手に付かなくなったこと.

「あの頃はしょっちゅう車の運転中に反対車線にハンドルを切ろうという衝動に駆られたし,誰もいない実家に火をつけて,自分も一緒に灰になろうかとか考えてばかりやったわ」

それで耐え切れなくなって捨てられた女に縋ってみたものの,昔のように親身になって聞いてくれはしなかったこと.そのときに,昔の女に頼ろうとする自分が,親父との婚約を盾にとって,母に祖母を押し付け続けようとした伯母達と構造的に同じようなことをしていることに気付いて,自分が情けなくなったこと.それから,悪い思い出ばかり思い出させるような物で溢れている,この家にいるのはダメだと思って,もう一度茨城に出てきたこと.そしたら群馬県原子力研究所との共同実験も始まって,我武者羅に実験をしてるうちに嫌なことはいつの間にか忘れてしまったこと…

「内藤さんがそんな経験しとったなんて.そんときに内藤さんがハンドル切らなくてほんとに良かったです.うち,内藤さんにあえてほんまに良かったと思っとるけぇ・・・」

という後輩の言葉に,僕は正直少し照れてしまった.