つくばへごー10

闇に包まれた鹿島神宮を後にして,再び車に乗り込んで,首都高速湾岸線を目指しながら,今度は僕が聞く.お前はどうなんだ?


「うちは・・・」


しかし後輩の話をここで公開するわけにはいかないので,気になっていた研究室の読者諸君には申し訳ないが諦めていただきたい.何にせよ,彼女の話は僕にとって衝撃的だった.


過去に重い経験をした人間の話を聞いたときはいつも,どう対応するのがいいのだろうと思いながら,僕は言葉を探す.「大変だったね」とは口にできない.大変だったに決まっているからだ.といって,「そのときの苦労があったから,今のお前がある」みたいなことも,僕は絶対に言いたくない.仮に過去の苦労を乗り越えた結果,今の自分が昔よりタフになったり,優しくなっていたりしたとしよう.しかしそれでも,今のような自分になるという目的が先にあって,そこに到達するためにそのような苦難を経験したわけではないのだ.ハリウッド映画のような,数々の困難を乗り越えた末にハッピーエンドという物語が僕は大嫌いだ.人生は,そのような目的論的な見方で捉えきれるものでは絶対にないからだ.少なくともある程度以上,人は「今,この瞬間」を生きるべきなのだ.


ハンドルを握りながらそんなことを考えるが,そのときはいい言葉を見つけることができなかった.だから,今この場を借りて伝えておきたい.


お前は間違ってない.
お前が過去にした決断は,間違っていなし,

そのために苦しんだことも,
どれだけ泣いたか分からないほど涙を流したことも,間違っていない.

そしてそんな過去を背負いながら,
今日もこうして無邪気に笑っていることも,間違っていない.

西田幾多郎の言葉を借りるなら,
お前の過去は「そのまま」でいいし,今のお前も「このまま」でいいのだ.


・・・と書いてしまったがしかし,他人の人生をそのまま肯定できるほどの資格が,僕にあるのかどうかは疑わしいかも知れないってことを,忘れていたな.