理想の人間像

最近,よくする会話のテーマがこれ.大抵の人は完璧な人間像か,あるいは自分がコンプレックスを持っている欠点を裏返しにしたような人物像を語る.そして僕はそのような人物像が一面的だとイチャモンを付けて遊ぶのだ.性質が悪い.


かく言う僕は,「欠点だらけのクセに妙に自信があって,そいつに『大丈夫だ』と言われると何故か大丈夫な気にさせられてしまうような人間」が理想である.


1人で何でもできる人間にはなりたくない,と思う.そういう人間は確かに他人から尊敬されるかも知れない.だがそういう人間が近くにいると,人は落ち着かない気分に侵されるものだ.欠点の見当たらない人間の近くでは,自分の欠点が否応なしに意識されてしまうからだ.僕は一緒に居て居心地がいいと思われる人間でありたい.そうあるには,一般によく言われるような「自分に厳しく,他人に優しい」というキャラではだめなのだ.他人の欠点を気にしないだけでなく,自分の欠点も気にしない,という鷹揚さがあって初めて,人をリラックスさせることができる.身近な人間に欠点や器の小ささを自覚させてしまうような人間には,僕はなりたくないわけだ.

また,1人で何でもできる人間は,(少し矛盾した表現だが)落ち込んだ人間を励ますことが出来ない.例えば仕事で失敗して落ち込んでる人に対して,業績ナンバー1の人間が「大丈夫だよ,安心して」と言っても,「そりゃ,あなたはデキる人だからいいけど,私はあなたのようにはいかないんです」となってしまう.むしろ僕は,「オレを見てみろよ.失敗ばっかりしてるけど,毎日笑って過ごしてるやん.今回の君の失敗だって,切腹せなあかんほどのもんちゃうやろ?」という感じのキャラでいきたい.

結局,僕は寂しがりやなのだ.人から尊敬されるような人間は,心の奥底を理解してくれる人間を持つことが出来ず,孤高の人生を歩まねばならない.僕はそんな孤独には耐えられない.僕は,周りに沢山の人が集まって,いつも笑いが絶えないような,そんな人間がいい.

そのために何より必要なことは,敢えて欠点を持つ,ということなのだ.