他のように生きる.

当たり前だが,一人ひとりの物の見方や感じ方,考え方はそれぞれ違う.どれをとっても,100%正しいということはない.自分の考え方を確立することは大事だが,今度はその確立したした考え方が,自分の感じ方を制限してしまう.一旦確立された考え方はそれなりの根拠を持ち,それなりに真理を突いてはいても,それ以上真理に近づくことを不可能にしてしまう.更に真理に近づくには,自分が確立した考え方を脱却し,別の見方,考え方を手に入れなければならない.つまり,「自分でないものの考え方」が出来なければならない.


ミシェル=フーコーはそれを,「他者のように考え,生きる」と言った.


無論,新たに手にした見方は,自分が手にした瞬間に「自分のものの見方」に成り下がる.だから次の瞬間には,再び「自分ではないものの見方」を求めることになる.自分ではないものになり続けなければ真理は近づいてこない,という主張は,「自己の確固たる根拠」という幻想を暴きだすものだ.人は過去の経験に縛られていては,いけないのだ.


同時代の哲学者メルロ=ポンティは,その代表作「知覚の現象学」の序文に素晴らしい言葉を遺している.

曰く,

哲学とは,自己の端緒が絶えず更新され続ける経験である.