顔・声・記号

言葉は,もともと単なる記号に過ぎない.だがヒトは,長い歴史の中である種の音列とイメージを結び付けるようになり,やがてそれぞれの音やイメージを表す記号を作った.それがある程度進むと,今度はイメージの方が新たな記号(言葉)を生み出すようになる.「神」とか「黄泉」のような.

言葉の不思議なところは,記号と意味が必ずしも1対1で対応しきらないところだ.むしろ「繋がりを求める」と言った方がよいだろうか.例えば「月」という単語一つを取っても,そこから頭に浮かぶイメージは単に夜空に浮かぶ月そのものに留まらない.「冷たい」「妖しい」といったイメージや,狼男,或いはウサギや月見団子など,「月」というただ一言が,様々なイメージを想起させる.一つの単語は必ず複数のイメージとリンクし,それぞれのイメージが更に複数の言葉とリンクする.そのようなハイパーリンク状態が成立して初めて,人は言葉によってコミュニケーションが出来るようになる.英単語を幾ら覚えても英会話が出来ないのは,単語と意味が1対1対応の状態に留まっているからだ(多分).

そのような意味で,他人の「顔」や「声」もまた,記号のようなものとして考えることが出来る.およそ初対面の人物の顔や声は,僕にとってほとんど何の意味も持たない.あったとしても「かわいい」とか「甲高い」程度のもので,それ以上にはなり得ない.

しかし関係が深くなるにつれ,それぞれの顔や声が,様々なイメージとリンクするようになる.親友や恋人の顔や声は,それだけで過去の楽しかった出来事や,これから共有したい多くのことを想起させるし,反対に嫌な上司の顔や声は,それだけで様々な負のイメージを想起させるようになるだろう.そのようにして最初は単なる記号に過ぎなかった他人の顔が,自分にとって「意味を持つ」ようになるわけだ.

これは例えば自分の嫌いな人物に対して,それでも公平に長所を見つけようとすることが大変に困難なことであることを示しているんじゃないだろうか.

・・・みたいなことを,週末に大切な人とスカイプをしてて思いついた.