ラッセルの精神論

昨日は,パスカルが人間の精神がどれほど崇高なものであるかを説いた文章を引用した.「パンセ」は確かに示唆に富む言葉の宝庫だが,現実を生きるなら,もう少し現実的な考え方をしてみることも大切だ.

精神は不思議な機械であり、提供された原料をまったく驚くべきやり方で組み合わせることができるが、外界からの原料がなければ無力である。また・・・精神は自力で原料を確保しなければならない。なぜなら、諸々の出来事は、私たちがそれらに対して興味を持たなければ経験となり得ないからである。もしも種々の出来事に私たちが興味を惹かれなければ、私たちはそれを全然活用しないことになる。それゆえ、自己の内部にのみ注意を向けている人は、注目に値する何物をも発見しない。一方、外界に注意を向けている人は、たまに自分の魂を調べてみるようなとき、心の中にこの上なく多様で興味深い,種々の成分や集合が詳細に分析され、美しい模様に組み替えられているのを発見することができる。    

――バートランドラッセル――

そう,精神は独力では無力だ.自己の複雑な内面に拘る人間ほど,世界を一面的にしか見ていないように.だが多くの知識を得て,豊かな経験を積んだ人の精神においては,知識と経験が結びつき,また一見無関係に思えた物事の間に新たな関係が見出され,全てが次々と繋がっていくのが感じられるだろう.その世界は,自己の内面にのみ取り憑かれた人間のそれと比べて,何重もの深さを持つことになる.

必要なのは,多くのことに対して興味を持ち調べてみようとする好奇心,実際に行動して確かめようとする行動力,そして他人との会話を楽しみ,人の心を解するコミュニケーション能力.あとは,少しの金か.多くの事物を見聞きして,世の中には人の想像力の及びもつかないような不思議が満ちていることを知る.また多くの人に出会い,世の中にはとても一括りには出来ない多様な価値基準が溢れていることを知る.

だがそれが可能になるのも,精神の力があればこそだ.