他人に迷惑を掛けない,というワナ

「相手の迷惑を考えなさい」
これ自体は反論しようのない正論である.しかし,この言葉に取り憑かれた人は,相手が本当に自分の行為を迷惑がっているかどうかを見ない.代わりに「人の迷惑になりそうな行為全て」を避けようとする.「他人の迷惑」を,他人を見ずに,自分の頭だけ作り上げてる.結果的に,もっと迷惑な行為を知らぬ間にやってしまう.

このような事態は,自尊心の虜に成り下がった人間によく起こる.自尊心とは,他者に対する優越の欲求である.他者への優越により,賞賛を得ようとする欲求,もしくは,周囲の人間と同じ事をして,非難や侮蔑を避けようとする欲求である.そのような欲求は社会生活を円滑に営む上で最低限必要なものではあるが,如何せん副作用も多い.自己の長所を誇大化したり,あるいは自己の短所を必死で覆い隠そうとしたり,これらは必然的に「自分に嘘を吐く」ことを要求するので,自らの自尊心に負けた人は労多き人生を歩むことになる.

話が逸れた

自尊心は,そのようなわけで大変に多くの困った作用を起こす.その1つが,「正論の濫用」である.時間厳守,ルールは守れ,人に迷惑を掛けるな,或いは,目標を持って生きるべきだ,etc...

人がそのような言葉を口にするとき,確かにそれが正しいことだと信じていて,自分以外の人々もそのような行動をすれば世の中が良くなると本気で思っているつもりである.だが無意識のレベルにおいては,その人は単に自らの自尊心を満たすために正論を振りかざしているだけなのだ.その正論にさえ従っていれば,正義は自分にあると信じることができ,またその正論から外れる人間を断罪できるからである.正論にさえ従っていれば,他人からの非難を未然に防ぐことができるからである.悲しいかな,正義の言葉は,単なる自己保身の手段に過ぎないのだ.

というわけで,他人に迷惑をかけまいとして,一人で焦って判断を誤り,本来無関係の他人まで巻き込んで大迷惑を巻き起こすよりも,他人に多少の負担を要求してでも,双方が満足のいく結果を得た方がいいのである.そういう考え方を,理性的な考え方という.