研究に大切なのはオリジナリティ…かぁ?

「研究において最も大切なのはオリジナリティだ!」と言い切る研究者は多い.だが,本当にそうだろうか.
世の中には莫大な数の研究論文や研究発表が存在するが,そのほとんどはそれほどオリジナルなものではない.つまり,世の中の殆どの研究者はオリジナルな研究をしているわけではないが,それでも彼らが研究者として生きていることは間違いないだろう.ということは,つまり,「研究者が研究者として生きていくのに大切なものは,決してオリジナリティではない」ということになりはしないか.

確かに,いい研究,或いはいい研究者にはオリジナリティがあるってことくらいは,一目で分かる.だが,実際にはそんなのはほんの一握りに過ぎない.残りの大部分は,平凡な研究者による平凡な研究である.そして,平凡な研究をしてて何がいけないというのか.

無論,僕だって,オリジナリティのある研究を出来たらやりたいし,オリジナリティのある研究者になりたいとは思っている.だが,世間に流れている「大切なのはオリジナリティだ」という意見には,与することは出来ない.むしろ,世の研究者の圧倒的多数が平凡な研究者であるという事実の中で,そのような言葉を豪語することは,自らを自己批判能力の欠如した人間であると示しているようなものではないかと疑ってしまう.

平凡なアイデア,平凡な手法でも,キッチリと綿密なデータを積み重ねれば,時々非凡な研究者を逆転することも出来る.研究の目的は勝ち負けではないが,生きていく上ではそういうことも大切だったりするわけである.無論,非凡な研究者を逆転なんかしなくても,平凡な研究者として生きていくことは可能であるし,それがいけないという理由はない.

要するに,あまりに一面的な意見は信用しない方がいい,というだけのことなのだが.