恋人は投資,割り切りは消費

割り切りのセックスと恋人とのセックスとでは決定的な違いがある.
それは,割り切りの場合はセックスが目的であるのに対して,恋人相手の場合はセックスもまたコミュニケーションの手段なのだということだ.

恋人との間では,コミュニケーションは単に何かを伝えて終わりではない.今のコミュニケーションは次の瞬間にはそれは過去になるけれど,それは「思い出」として現在に残り続けてるし,また次の瞬間にはその思い出について「語り合う」ことが出来る.今の彼女とも,セックスを経てみると,過去の恋愛についてより赤裸々に語り合うことが多くなり,お互いの一面をより深く知ることが出来るようになった.言葉のコミュニケーションにせよ体のコミュニケーションにせよ,一つのコミュニケーションが次のコミュニケーションを自動生産しているのだ.

少々ドライな喩え方をすれば,恋人の間で交わされるコミュニケーションは,経済でいうところの「投資」にあたる.投資したお金が,巡り巡って更なるお金を生み出すように,恋人相手のコミュニケーションは,更なるコミュニケーションを生んでくれる.

反対に,一回きりの割り切りは単なる「消費」だ.どんなに会話を交わしても,それは結局セックスに対する「対価」でしかない.どんなに楽しい話や気の利いた話をしても,一緒に美味いものを食べたとしても,全ては「セックスするため」に消費されてしまう.いや,セックスでさえ消費だ.セックスの後は二度と会わないわけだから,コミュニケーションが次のコミュニケーションを生み出すなんてことはあり得ない.物を買ったら消えてしまうお金と同じ,それは消費なのだ.

明日も気が向いたら続きを書こう.