哲学の価値

彼女にラッセルの話をしようと思って昔読んだものを読み返していたら,ちょうど今考えていることと深くかかわっている文章に当たり,昔以上に感動してしまったので,引用しておこう.

 哲学の価値は,多くはその不確実性そのもののうちに求めるべきものである.
哲学と無縁の人は理性を慎重に働かせることなく,常識,年齢または国・地域による習慣,あるいは自分の心に生い育ってきた確信等に由来する偏見に捉われて生涯を送る.そのような人にとっては世界は明確で有限で自明なものとなってしまいやすい.ありふれた対象が疑問を呼び起こすことはなく,未知の可能性は軽蔑的に拒否される.
 反対に,我々が哲学的思索を始めるや否や,我々はごく日常的な事物に対してさえ,極めて不完全な解答しか与えられないことを知るのである.哲学が,それらの疑問に対する真の答えを確実に教えてくれることはない.しかし,それは我々の思考を拡大し,習慣の専制から思考を解放する多くの可能性を示唆することが出来る.
 哲学は,「事物が何であるか」ということに対して我々が抱いている確実性を減少させはするが,逆に「事物が何であり得るか」という知識は大いに増大させてくれる.それは人々のいささか尊大な独断論を除去し,普段見慣れているはずの事物を見慣れなぬ姿に変貌させることによって,我々の驚異感を生き生きと維持してくれる.

「事物」あるいは「世界」などという言葉を使うと,外界に存在する対象についての文章のように読めてしまうのだが,これは「自己」というものに関しても完璧に成り立つだろう.
「哲学は,『自分が何であるか』ということに関する確実性を減少させる代わりに,『自分が何であり得るか』という知識を増大させる」と言ってしまっていいんのではないだろうか.

ゆっくり,続きを書いていこう.