自分の価値観を形成するもの2

しかしながら,こうすれば愛されるはずだ,こうしていれば傷つかないはずだ,と思っていても,これまた必ずしも上手くはいかず,再び傷ついてしまう.こういう期待外れな体験を何度か繰り返すうち,心はますます傷つかない方へと向かう.そして,人に振り回されたり,誰かからの影響で傷ついたりせずに済むように,自分のやり方というものに拘るようになっていく.傷つかないために自立して,甘さや弱さを禁止して一人でがんばろうとするわけだ.度が強い人は他人への依存を徹底的に禁止するようになる.

この方向に進むと自分を厳しく管理してメチャクチャ頑張るため,短期的には成功しやすい.しかしそこで周囲を見回してみると,自分があれだけ嫌い,禁止してきた,人に頼る・甘えるということをする人間が沢山いるわけである.だが自分がそれまで上手くやってこれたのは他人への依存を禁止してきたからなので,他人にもまた人に頼らないよう要求することになってしまうのである.「私のやり方でやるか、そうでなけれ去れ」になってくる.行くところまで行くと,孤独を好むようになる.

・・・とまあこのような感じで,人はそれぞれ「自分なりのルール」を持つに至る.大人になった頃には,それらのルールは当然の常識,あるいは社会道徳や正義や倫理と結びつけられて自明のものと思い込んでしまうのだが,所詮は他人に否定されて「傷ついた」経験がもとである.傷つきたくないために,自分を守るために形成されたものに過ぎないのである.そして子供時代の判断が,大人になっても通用するほど立派なものである筈がないのである.

「違う体験をしていれば,違う自分になっていた.」

まずはそこから,自分というものの確実性を疑うことができる.